PUBLC COUNTER/パブリック・カウンター
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公共はいつだって、私たちの手の中にあった。文化人類学者・松村圭一郎さんと飯石藍が問い直す「ほんとうの公共」

公共R不動産10周年のインタビュー企画。今回お話を伺ったのは、文化人類学者の松村圭一郎さん。国内外でのフィールドワークを起点に、人びとの暮らしや共同性、所有、国家と自治の関係を探究してきた松村さん。人口減少や財政難から維持が難しくなる公共空間が増えるなか、「公共とは誰のものか」という問いから、これからの公共と自治の可能性を紐解きます。

文化人類学は、「当たり前」を疑うところから始まった

人口が減り、行政の財政状況も厳しくなる中で、維持管理が難しくなっている公共空間が全国各地で増えています。行政も企業も民間も、次なる一手を模索する状況のなかで、都市公園法の改正があった2017年から、民間活力を活かした公園再生や遊休施設の活用が全国各地で広がってきました。

遊休施設に新たな活用の形を考え、その芽を持ち込む試みを行政や企業・市民と重ねてきた公共R不動産編集長の飯石藍も当事者のひとりです。しかし、実践を重ねたり、全国各地の事例を知るなかで浮かんだ問いがずっと頭を離れませんでした。

「稼ぐ公共」と「自治としての公共」は、本当に両立できるのか。そして、「そもそも公共とは、何なのか、そして誰のものか」。

その問いの答えを探しに、「まちの自治を担ってきたのは商店主たちだった」と、著書『くらしのアナキズム』(ミシマ社)や共著『コモンの「自治」論』(集英社)のなかで書いた文化人類学者・松村圭一郎さんのお話を伺いにハレの国・岡山へ向かいました。

(左)文化人類学者・松村圭一郎さん(右)公共R不動産 飯石藍 。松村さんの拠点・岡山は今日も晴れ!

松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)さんプロフィール
文化人類学者。立教大学や岡山大学を経て、2026年度から同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授に。エチオピア農村社会でのフィールドワークをはじめ、自治・公共・市場・贈与などのテーマを研究。著書に『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)、『くらしのアナキズム』(ミシマ社)、『これからの大学』(春秋社)など。

飯石藍(以下、飯石):今日は、私たちが日々向き合っている「公共」という概念を、文化人類学の視点から紐解き、そして問い直すヒントを頂きたくてお声がけしました。まずシンプルなところから伺えますか。そもそも文化人類学とは、どんな学問なんでしょうか。

松村圭一郎(以下、松村):15分コースと3時間コース、どっちにしますか?(笑)

飯石:3時間!といいたいところですが、色々伺いたいので、私たちのような初心者にもわかりやすく教えてください。

松村:出発点は大航海時代です。ヨーロッパ人がこれまで出会ったことのなかった人たちと出会った時に、「この人たちをどう理解すればいいのか」という問いが生まれました。最初はひどく差別的なところから始まるんですよね。「我々とは人種が違う、同じ人間じゃない」と。でも19世紀末から、それはおかしいといい始める人たちが出てきたんです。文明の発達段階は違っても、私たちは一つの種だ、同じ人間なんだ、と。

飯石:問いが、時代の流れのなかで変わっていくんですね。

松村:そうです。次に出てくるのが「文化に優劣はない」という考え方。それぞれに独自の体系と合理性があって、どちらかが優れているわけじゃない。さらにその見方も問い直されていって、21世紀に入るころには「近代社会に生きている私たちは、実は、未開社会と何ら変わらないんじゃないか」というラディカルな問いも出てきます。

そして最近は、人間の営みだけを見ていていいのか、という問いが加わりました。つまり、文化や社会の担い手は人間だけではないはずだ、と

有名な事例が『マツタケ 不確定な時代を生きる術』(みすず書房)という本です。松茸を通じて資本主義の世界を読み解く本なんですが、日本で松茸が採れなくなった背景には、アメリカから輸入された木材に線虫がついてきて松が枯れたことや安価な輸入木材のせいで日本の林業が衰退したことがある。その結果、オレゴン州の山中で松茸を採るようになった。で、そこで採るのはインドシナ戦争を戦ったラオスのモン人の難民で……という具合に、松の木と共生する菌糸と、戦争の歴史と、資本主義のサプライチェーンとが絡まり合っていく。

マツタケ 不確定な時代を生きる術(アナ・チン著、赤嶺淳訳、みすず書房)

人間だけの意志が社会を動かしているわけじゃなく、さまざまなモノや生物やいろんな種がいっしょになって世界をつくり出しているんです。

飯石:そういう視点で見ると、かつて「山に精霊がいる」と目に見えないものと暮らしてきた人たちのことも、違って見えてきますよね。

松村:まさにそうです。山や川に精霊や神様の意志を見ていた社会は、自然を社会のメンバーに加えていたんですよ。そこに意志があると考えるからこそ、むやみに山の木を切れなくなる。近代社会はそれをファンタジーだと笑ってきたけれど、その昔、実は人と人以外のものをちゃんと視野に入れた社会をつくってきた。そう考えると、人間だけでなんでもできると思い込んでいる私たちのほうが、よっぽど野蛮なのかもしれない。

学術的な話も松村さんの柔和な語り口で親近感の湧く話題に。

「公」という誤訳が生んだ、長い誤解

飯石:先生の著書にも出てくる「パブリック」という言葉について、改めて聞かせていただけますか。

松村:「パブリック」の日本語訳「公共」に使われる「公」という漢字ですが、日本ではもともと「ご公儀」といえば将軍のこと。つまり幕府のことです。「公」が政府という意味だったんです。でも英語の「パブリック」の意味は全く違う。パブリックとは、ふつうの人々であり、権力を持った人に対して市民が立ち向かうという、むしろ対極にある概念なんですよね。

そのせいか「パブリックスペース=行政が管理するもの。私には関係ない」という感覚が、日本にはずっとあります。いわば「公」をめぐる概念のずれが、日本の公共の在り方の歴史をつくってしまったわけです。本来は、パブリックスペースとは、市民がむしろ国家や行政の介入から守る場所なのに。

飯石:「パブリックは行政のもの」という刷り込みは、私たちが政治に対して抱く感覚にも深く影響している気がします。選挙のたびに「がっかりする」という感覚があります。

松村:そうです。がっかりするということは、政治家に期待しているんですよね。「政治家がパブリックをなんとかしてくれる」と思っている。でも期待しすぎなんです。政治家だけで決められる問題じゃないし、実際できるわけでもない。
「一票で社会が変わります」というドラマに一喜一憂している間に、わたしたち自身、実は社会に関わっているという想像力が、だんだん失われていく。選挙中、政治家が演説している間も社会は動き続けている。人々の営みでこの社会が維持されているリアリティを、どうやったら想像として取り戻せるか。それが『くらしのアナキズム』の趣旨でもあります。

飯石が持参した松村さんの著書は読みすぎて年季が入っている&付箋まみれ。

かつて、まちの商店が担っていた自然発生的パブリック

飯石:その「想像力を取り戻す」ために、先生はまちの商店の話をよくされますよね。

松村:いま、子どもたちが学校に通う時、ボランティアの人が通学路で旗を持って立っていますよね。でも昔、そんな役割の人はいませんでした。通学路には文房具屋さんや駄菓子屋さんなど路面店があり、自然と子どもを見守る大人たちがいた。いま、そういう場所がなくなっています。

私たちは、世の中の治安を守ること、子どもたちの安全を守ることを、警察や児童相談所の仕事だと思っている。でも、かつてはまちの人たちが個人としてやっていたんです。

飯石:個人商店が生きていた時代ですよね。先生のおっしゃる「店」って、そういう店のことですよね。

松村:そうです。商店を営む個人事業主って、時間的に融通が利くわけです。まちの自治会を回せたのも、やっぱり商店主たちだったんですよ。それが毎日フルタイムで働く会社員に置き換わると、「会議に出られません、祭りに出られません」となってしまう。
私たちの多くが賃金労働者になってしまったことで、自分が当事者であるはずの、生きている場所や町のいろんなことに関われなくなっていく。すると行政に頼むしかなくなります。

飯石:かつて当たり前にあった機能を手放して私たちは生きている。それは自由でもあり、「良きこと」と思いながらやってきたことが、まちのあり方を変えてきたんですね。

松村:けれど、そんなことばかりでもないまちもあります。例えば、岡山の奉還町商店街は、シャッター商店街になりつつあった状態から、いまは若い人たちが個性的な店を出すまちに変化してきました。いったん廃れかけたことで違う生態系が生まれたんです。全国的に個人商店は減少傾向にありますが、あの商店街では個人商店も増えているんですよ。世の中の流れって一方向に見えるけど、そうではない動きもいっぱいあります。

週末は若者に人気の古着市なども行われる奉還町商店街。

まちの古着屋が担っていた「福祉」とは

松村:学生が卒論で岡山市内にあるまちの古着屋さんを調査したんですが、面白いんですよね。

閉店間際になると常連さんたちが集まってきて、喋る、みたいな店なんです。ある時、しんどそうな女の子が来店してきた。すると常連さんが「ちょっと、店長と裏で話してきな」っていって、常連さんがレジに立って、店長がその子の話を聞いてあげる。

また、古着屋に毎日やってくる不登校の高校生がいて、「お、昨日ぶりやな!」みたいな感じで受け入れている。ある時、その子のお母さんがやってきて。「うちの息子、ずっと引きこもりで、全然話してもくれなかったんだけど、昨日、晩御飯の時にこの店のことを笑って話してくれたんですよ。ありがとうございます」って。

飯石:もはや福祉ですよね、それは。

松村:そうでしょう。スクールカウンセラーや担任には相談できないけど、古着屋のおしゃれなお兄ちゃんには悩みを打ち明けられる。行政が公民館で「子どものための居場所づくり」をやっても行きづらい。でも、ファッションに興味のある高校生が話せる場所は、その店でしかない。

しかもその古着屋さん、東京のアパレルに就職したあと岡山に戻ってきた元常連の若者に「じゃあ一緒に何かやるか」と声をかけて、隣にリメイク部をつくって、仕事を生み出しているんです。壮大な慈善事業をやろうとしているんじゃなく、目の前の人間をちゃんと見て対応しているだけなんですよね。

岡山のまちの一角にある古着屋さんが「公共」になった。(撮影:アサイアサミ)

飯石:風通しのいいコミュニケーションというか。「おせっかい」ができていた状況ですよね。

左 岡山市内にある古着屋「CHUCKLE」 (撮影:飯石藍) 右 店主(左)と常連さん(右)がカウンターの内側で接客してるという一見不思議な風景(撮影:飯石藍)

松村:そういう個人の関与が、実は日本の福祉の歴史だってつくってきたんです。石井十次さんを知っていますか。「児童福祉の父」と呼ばれる人で、日本ではじめて岡山に近代的な孤児院を民間の力でつくり上げた人ですよ。それを後から政府が追いかけて「整備しました」となった。保護司制度も、ハンセン病の療養所も、はじまりは民間です。

「誰もやらないからやらざるを得ない」という民間個々人の取り組みが、後に制度になっていく。だからまちのちっちゃな事例を、おろそかにするべきじゃないと思っています。

誰もが「ここにいていい」という感覚こそが、公共の基盤

飯石:私たちが公共空間の活用で様々なまちに関わる際も、「つくるだけでは良くならない」という壁に何度もぶつかってきました。私が今取り組んでいる東京・小金井市のインクルーシブ公園のプロジェクトがまさにそうです。障害があるとされている子もない子も一緒に遊べる場所をという趣旨でインクルーシブ遊具の整備が始まったんですが、当事者のお母さんたちにインタビューすると「うちの子はここにいちゃいけないと思ってしまっている」「こどもがたくさん遊んでいる時間に自分の子どもは連れていけない」という声があったんです。そして、担当者が全国のインクルーシブ公園を調べたら、整備後に障害のある子どもが遊んでいる風景を見ることがほとんどできなかったと。

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松村:岡山も同じですよ。世界で最初の点字ブロックが生まれたのは岡山だと誇らしく語られるので、フランスから来た研究者が岡山市内を自転車で回ったんです。けれど、「バリアフリーの施設はあるけど、一人も障害者が使っているのを見なかった」と。つくるだけじゃダメ、ということなんです。

飯石:設備が揃っていても「ここにいていい」と思えなければ来られない。

松村:そうなんですよ。市場はプライベートな経済活動の場所なんだけど、100円持っていたらコンビニに誰でも入れる。「誰でも入れる」という感覚が、長い間、公共を支えてきたんです。子ども食堂より、普通の駄菓子屋の方が子どもは行きやすい。なぜなら「支援される場所」じゃなく、みんなお客さんとしてウェルカムな場所だから。

あと、「ここにいていい」という感覚を体現している場所として、民間のチームが整備運営に携わっている神戸市・三宮の東遊園地という公園があります。そこではナイトピクニックをやっているんですが、最初、休日にやったら人が来すぎてやめたんですって。

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兵庫県神戸市の東遊園地。(撮影:藤田育)

飯石:え!来すぎるから止めた(笑)?!

松村:人の動員数を上げることが目的ではないからです。会社帰りに誰もがふらっと立ち寄れる場所にしたいと、ナイトピクニックの開催タイミングを平日の夜に変えた、と。

私はそこでトークイベントをさせていただいたんですが、喋っている横で、全然聞いていない人がのんびりくつろいでいる。家族連れが話していたり、子どもが前を走り回っていたり。そのごちゃまぜで、目的がばらばらな状況が良くて、それが「パブリック」な公園なんです。「こうやって過ごしなさい」とか、「ケアされる人でいなさい」といった命令がない。お酒が好きな人は飲んでいていい、カップルでいてもいい、子連れでも、会社帰りでも。4月の平日の夜9時に子どもが芝生で走り回っている。遊具がなくて、原っぱしかないのに、楽しそうに走り回っている。

飯石:素敵ですね。そして遊具というものも実は目的的ですよね。「ここで滑ってね」「ここで揺れてね」というように、ある種既定の行動を誘発するというか。

松村:それをあえてつくらず、原っぱしかない。「遊ばせる」んじゃなく、能動的に好き勝手に「遊べる」場所にしているわけです。


行政に何ができるか。公共は行政に何を望むか

議論がすすみ、インタビューは2時間以上に。

飯石:民間、言い換えれば「私たち」がこれだけのことをできるなら、行政の役割は何なんでしょう。民間の動きを行政はどう見るべきか、またどう関わるべきか。

松村:行政に何をしてほしいかといえば、口を出さずに見守っていてください、かな(笑)。いや、正確にいえば、民間の動きから学んでほしい。行政はお金を出せるし、予算を動かせる。でもこれまでのロジックだと、民間の一つの事例を支援しにくいんです。「他の事例にも一律に展開できない」とか「成果が見えにくい」となってしまう。

成果といえば、行政の担当者が「KPI」と言い出すんですよ。例えば、文化芸術の価値って入館者数だけで測れるものじゃないのに。

飯石:「つくることが成果」になってしまっているケースも、公共施設の世界にはとても多いと感じることがあります。

松村:面白いのは、それでも、物事を実際に動かしている現場で重要な役割を果たしているのが「スーパー公務員」とでも呼ぶべき人たちなんですよ。表には出ないけれど、そういう人がいたからこそ魅力的な、開かれた場所ができた。

行政の権限とリソースを使いこなしながら、公務員としての「業務」の範疇をはみ出している人が物事を動かすキーパーソンになっている。みんなが「自分はこの職業なんで」と守備範囲だけで仕事をしていると、間がスポッと空く。野球でいえば、ショートもセカンドも自分の守備範囲だけ守っていたらボールがセンターに抜けていく。職権を逸脱して手を伸ばさないと、多分物事はうまくいかないんです。

また民間主導でやってきた伝統は、日本にないわけじゃないんですよ。江戸末期に「無尽講」というものがあって、みんながお金を寄せ集めて、必要な人が受け取る仕組みが全国津々浦々に30数万件もあった。今のコンビニの6倍以上の数です。民間から始まった互助の文化が、日本には確かにあったんです。

さらにいえば、制度化された途端に義務になって、仕事になって、形骸化することも繰り返されてきた。うまくいっている一つの事例を「面的に広げよう」「制度化しよう」とすることにも疑問があります。たった一つの事例が尊いんです。それぞれの場所で個別の動きが起こるような素地を行政がバックアップすることが大事で、成功例を一律にコピーして広げようとしてもうまくいかない。

飯石:私たちが公共空間の活用に携わるときも、ハードありきで考えず、そこに住んでいる人や地元の事業者のなかに、まちに対する想いとか、暮らしを変えたいという気持ちを持つ人を探すことから始めましょうと伝えています。その場所にしかないもの、そこにいる人たちの想いの連なりこそが、コピーできないその場の公共性をつくっていく。

松村:どんなにリーダーがカリスマでも世の中は動かないと思うんですよ。現場に近い人たちがそれぞれの創意工夫で問題意識を持ってやり始める「みんなの実践」こそが、公共的な意味を帯びていく。

みんなの場所は、みんなでつくるもの。と松村さん。

私たちが「公共ではない」と思っていたものが、公共だった

飯石:今日の話を整理すると、「公共」というのは行政がつくるものではなく、人々の日常的な関わりのなかから立ち上がってくるものだ、ということかなと感じたのですが。

松村:そうですね。古着屋が公共だった。駄菓子屋は公共の場所だった。ライブハウスが、定食屋が、商店主たちが担っていた自治が、実は公共。行政は後からやってきて、それを「制度化」する。最初は、民間の誰かが「やらざるを得ない」と思うところから始まっている。

だから、「ほんとうの公共」を取り戻すためにわたしたちが考えるべきことは、よい制度や組織をつくることよりも、制度の外側に目を向けることなんじゃないかと思います。

みんながそれぞれの立場で、目の前の人や場所に関わり続けること。その私的な営みのなかに「公共的なもの」が立ち現れる。私が着目する前から、あの古着屋はまちで欠かせない福祉的な役割を果たしていた。学生が気づいて教えてくれたから、そういうことを理解できた。私のような学者はその実践の意味を言語化したり、歴史的に位置づけたりしているだけです。

飯石:見えづらいところで行われていることに、光を当てる。

松村:そう。そういう場所が無数にあり得るわけです、まちのなかに。本屋さんかもしれないし、古着屋かもしれない、ライブハウスかもしれない。それは本好きの人には本屋さんだし、ファッションが好きな人には古着屋だし。公共というのを担ってきた、あるいは福祉というのを担ってきたのは、実はプライベートな民間のほうなんじゃないかと気づくと、思い当たる節がいろいろ出てくる。

飯石:今日お話を伺って、私たちが「公共ではない」と思っていたものが、実は公共だったという感覚があります。そして逆に、「公共のはず」と思っていたものに、もう一度問いを立て直す必要があると。

松村:行政だけで何かができることは限られていて、実際には選挙中も、選挙のあとも、世の中は「パブリック=ふつうの人々」の一つひとつの営みで回っているわけですよね。だから、民間が「誰もやらないからやらざるを得ない」と始めていることから、行政も学んでいく。まちをよくみて真に公共的な営みを知る、ということです。

そういうことをちゃんと想像できるかどうかが、これからの公共のあり方を決めていくんじゃないかと思います。


「ここにいていいんだ」と思える場所。誰かが困っていたら、気づいた人が動く場所。みんなが自然と集まってくる場所。そして、自然と保たれ守られる場所。それが、ほんとうの公共だと、文化人類学の眼差しから示されました。

インタビュー後、飯石は松村さんのお話に出てきた岡山の古着屋さんCHUCKLEに行きました。素敵なシャツがあったので購入したら、なぜかコーヒーをごちそうになり、存分にパブリックを体感してきました。市民でない、通りすがりの旅人にも居場所を差し出す、これこそ「公共」。

あなたのまちのなかにある、「ほんとうの公共」を探してみてください。その場のあり方は、まちの未来を照らすヒントになるかもしれません。

古着を購入した人を撮影した写真が写真がインスタに掲載されていく。漏れなく私も。
(撮影:CHULCLE店主)

岡山市古着屋CHUCKLEのinstagramアカウント
https://www.instagram.com/chuckle0413/

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公共R不動産の本のご紹介

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