公共R不動産のプロジェクトスタディ
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「公共」の視点でひもとく。
薬草園跡地から生まれた『mitosaya薬草園蒸留所』の可能性

果樹や植物を原料とする、香り豊かな蒸留酒を作る『mitosaya薬草園蒸留所』。千葉県大多喜町が所有していた薬草園跡地をリノベーションし、2018年に完成しました。30年以上かけて育った数百種類もの薬用植物など、既存の資源を最大限活用し、トライアンドエラーを繰り返しながら新しい価値を生み出しています。今回は、代表の江口宏志さんに公共空間活用の経緯などについてお話を伺いました。

『mitosaya薬草園蒸留所』入り口

『mitosaya薬草園蒸留所』代表の江口さんは、ブックショップ「UTRECHT」やアート出版に特化した日本初のブックフェア「TOKYO ART BOOK FAIR」の元代表として、書籍・出版業界で長く活躍されていました。

そんな江口さんの転機は、ドイツの蒸留所「スティーレミューレ」主宰のクリストフ・ケラーさんが作る蒸留酒に出会ったこと。それから“蒸留家”という目標に向かって一念発起した江口さんは、2015年に家族と一緒にドイツに移住。クリストフさんのもとで蒸留酒作りの修業を行います。

理想の環境を求めて
物件探しのキーワードは「園」

「スティーレミューレは、蒸留所があるだけではなく、植物や果樹を自身で育て、ヤギや羊が育つ牧場、働く人たちの住居までが渾然一体となった、とても自然豊かな環境でした。日本でもそんな環境で蒸留酒作りを続けられたらと、2016年に帰国したあとは、理想の場所を求めて全国各地を巡りました」

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『mitosaya薬草園蒸留所』江口宏志さん

江口さん一家は「ここだ!」という場所を求め、果樹の育ちやすい長野や山梨、福岡や熊本など、たくさんの地域を見て回ります。そのときの選択肢のひとつが、公共空間の活用でした。

「文科省のウェブサイトで廃校のリストをチェックして、いくつか見学に行きました。ですが、ぼくらにとって、小学校は教室の多さや土地の広さなどの面でオーバースペックでした。ならば、幼稚園くらいの規模はどうだろうと考えたのです。

昔の幼稚園って、園長先生が隣に住んでいるイメージがありませんか? そんな印象もあって、働くことと暮らし、自然が渾然一体となった理想に近いのではないかと思いました。でも小学校とは違い、廃園になった幼稚園のリストは公開されていない。なので、“廃園”とか、“園  活用”とか、とにかく“園”をキーワードにインターネットで検索しました(笑)」

なんと、薬草園跡地と江口さんを結びつけたキーワードは「園」。小学校→幼稚園→園、という発想の連なりもとてもユニークです。

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建物外観はほぼそのまま。左手の元研修棟はオフィスや出荷倉庫として、右手の元管理棟は蒸留所として活用している。

30年以上かけて培われた自然環境。
「薬草園跡地」との出会い

そうしてたまたまヒットしたのが、千葉県大多喜町の薬草園跡地の活用計画募集ページだったそう。どのように薬草園跡地と出会ったのか、興味津々だった公共R不動産チームは、その運命的とも言える出会いにびっくりしました。 江口さんが理想の環境を常に思い描き、諦めなかった故の出会いなのかもしれません。

もちろん江口さんはすぐに大多喜町に連絡を取りますが、残念ながら募集期間は終了していたそう。ただし応募者はゼロで、町としても今後については検討中という状況でした。それからも江口さんは全国各地を巡りますが、なかなかぴったりの環境には出会えない時間が続きます。

そんな大多喜町との接触から約一年後、なんと薬草園跡地が再び募集にかけられ、さっそく見学に向かいました。

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薬草園に残っていた数百種類の植物は、現在も最大限活用中。

江口さんは、「ここの自然環境は、30年かけて育った数百種の植物で成り立っています。そんなに時間がかけられた環境は、自分たちではどうやっても作れません。建物が立派な場所はたくさんありますが、すでにこれだけの自然環境がある場所はなかなかない。建物や敷地もちょうど良いサイズで、蒸留酒作りの一連の工程がおさまりそうでした」とそのときの印象を語ります。

この薬草園跡地の活用に惹かれた江口さんは、さっそく大多喜町と具体的な条件面などの交渉に移ります。

活用に向けて、大多喜町からの条件は?

大多喜町からの条件は自由度が高く、植物を生かすも生かさないも、建物を活用するもしないも提案次第。契約形態は賃貸で、年間で固定資産税分相当の賃料を町に支払うという条件でした。自然環境、敷地面積、契約形態等の面で、江口さんの理想と大多喜町の要望とが合致し、江口さん一家は、薬草園跡地の活用を決めました。

「活用するにあたって、町にいくつかお願いしたことがありました。破損していた屋根を直してもらったり、もともとあった屋外トイレやポンプ、タンクなどの不要物を、町の負担で撤去してもらいました」

大多喜町はとても協力的で、コミュニケーションを取りながら役割分担を決めたそう。一般的に、民間事業者が元公共空間を活用する場合、行政は費用を一切負担できないケースもある中、コミュニケーションベースの交渉ができるのは嬉しいポイントです。

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いざ、薬草園跡地の改修へ

契約後、クラウドファンディングで改修費用などを募りながら、いよいよ薬草園跡地活用に向けた工事がはじまりました。

『mitosaya薬草園蒸留所』の建築や設計を担当したのは、建築家の中山英之さん。まず中山さんはドイツのスティーレミューレまで足を運んで蒸留酒作りなどを学び、江口さんの求める環境を肌で感じた上で『mitosaya薬草園蒸留所』を設計し始めたそう。

「一番費用が発生したのは、蒸留所の修繕です。浄化槽がひとつしかなかったので、家庭用と蒸留用を分けるなどのインフラ整備や、蒸留機の導入などに結構かかりました。なので、住居として活用している元研修棟は、DIYで整えました」

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①蒸留所、②ショップ&テイスティングルーム、③温室と、手前から大きく三つの建物に分かれる『mitosaya薬草園蒸留所』
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蒸留所入り口。奥に見えるのが、コエドビールから譲り受けた蒸留機。
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仕込んだお酒を寝かせている蒸留所の一室。

最初はお湯が出なかったり、予想外のことは数え切れないほど起こったと言います。ですが、そういったトラブルも「面白がりながら進められた」と江口さんは話します。

お話は完成後の維持費についても。「植物に散布する水はふつう井戸水が多いですが、公共施設だったからなのか、ここは全部上水道なのでとても維持費がかかります。また、温室のボイラー用の灯油代もかさみます。これらを維持するには、当たり前なのですが、覚悟がないとできないですね」

家族・地域・プロフェッショナル。
多様なチーム構成の『mitosaya薬草園蒸留所』

そんな紆余曲折を経て完成した『mitosaya薬草園蒸留所』は、ご家族をはじめ、建築やデザイン、経営のプロフェッショナルや地域の方々まで、多様なメンバーで成り立っています。

ビジネス面を支えているのはカフェの運営などを手掛ける、株式会社WATの石渡康嗣さん。取締役としてバックオフィス全般を担当しているそうで、はじめに江口さんが声をかけたのが石渡さんでした。

江口さんの配偶者でありイラストレーターでもある山本祐布子さんは、マップのイラストはもちろん、プロダクトの開発やイベント企画など、『mitosaya薬草園蒸留所』の多様なことを取り仕切っています。

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『mitosaya薬草園蒸留所』マップ。これは2019年11月のオープンデー用につくられたもの。

また、千葉県鴨川市で自然農園を運営する「苗目」の井上隆太郎さんからは、千葉県の生産者の方をよく紹介してもらうそう。自然農園では、お酒作りのための植物も一緒に作っています。

毎日の植物の管理や加工、商品管理などは、パートタイムや常駐スタッフとして地元の方々を雇用し、一緒に行なっています。かつての薬草園で雇用されていた方々も、引き続きここで働いているそうです。

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取材当日は、地元スタッフの方々がアブサンの材料として、ニガヨモギの加工をしていました。

常に「限定品」を味わえる。
全国各地とのつながりから生まれる蒸留酒

2019年春には、念願のファーストリリースが完成。ミカンやチョコミントなど、5種類のお酒が並びました。

まずはそれら5種類のお酒の製造や販売に集中しているのかと思いきや、「長野の農家さんからアプリコットを送ってもらって…」「伐採される沖縄の街路樹の桜がいい香りだから、なにか使えないかと言われて…」など、いくつものお酒作りが同時並行している様子。

どうやら、日本農業新聞に取り上げられたこともきっかけになり、全国の生産者の方々と様々な連携が始まっているそうです。近所の方から「うちの実家の梅を使わない?」と声をかけられたり、地域ともいろいろな形での交流が生まれています。

「実は、ぼくにとって大多喜町のキーパーソンのひとりは、環境センターの職員の方です。mitosayaはゴミ収集車のルートに入っていないので、月に1回ほど、近くの環境センターというゴミ処理場に直接捨てに行きます。ぼくが珍しいものを捨てると興味を持ってくれたり、逆に捨てられているものにぼくが興味を持ったりして。地域の生産者の方を紹介してもらったり、彼の実家でお酒用の麦や桑をつくる話が持ち上がったり、いろいろな交流が生まれているんです」

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これからショップやオンラインで販売予定のmitosayaオリジナル蒸留酒やキャンドル。

いくつものお酒作りを同時並行できるのは、『mitosaya薬草園蒸留所』の蒸留タンクがポリバケツくらいのサイズで、原料が7〜80キロあればお酒をひと仕込みできることも理由のひとつ。そんな気軽に試行錯誤を繰り返すことのできる環境も、mitosayaらしさを形づくっています。

「お酒の原料は、ある意味で何でも良いからこそ、逆に何でも良くないというのは大事にしています。市場で植物や果物を買えばすぐにたくさんの量を作れて効率が良いかもしれませんが、やる意味がないですよね。わざわざ作る意味があることだけに取り組んでいます。自分たちで作った果実や、知っている誰かが育てた植物など、理由があるものから作っています。

もちろん上手くいかないこともあるし、ごくわずかな量しか作れないのですが、それも含めて、mitosayaの個性になれば良いなと思います。小さい規模でも、常に新しいものと副産物のある場所になれたらなと」

お酒を作る過程で生まれたもろみを使ったキャンドルなど、お酒以外のプロダクトの開発も進行中。決まったものを大量生産するのではなく、その時・その原料だったから生まれた「限定品」が常に並ぶ蒸留所。これからどのようなお酒やプロダクトが生まれるのがとても楽しみです。

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蒸留施設の一室にあるラボラトリー。実験的なお酒作りの過程が垣間見える。

個を追究した結果生まれる、開かれた場所

『mitosaya薬草蒸留所』では、お酒を直接購入できたり、蒸留所ツアーやワークショップが体験できる「オープンデー」が月に1度開かれています。

「東京からの交通手段は、バスが一番便利です。オープンデーがあるとバスが満席になることもあったのですが、大多喜町がバス会社に連絡をとり、増便の調整をしてくれたのです。本当によく協力していただいている、素敵な大家さんです」

大多喜町にとっても、地域外から人々が訪れるきっかけになる場所があるのは嬉しいはず。行政と良好な関係を築いていることがうかがえるエピソードです。

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オープンデーでイベントスペースとしても活用される、ショップ&テイスティングルーム。
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薬草園の頂上には、江口さん自ら改修した東屋が。海外からのインターンや友人が泊まることもあるそう。

江口さんに、地域へ自分たちの取り組みを開くことや“公共性”への意識について伺うと、

「その意識はなくはないのですが、ぼく自身は、やっぱりお酒を作っていたい。はじめに“みんな”や“地域”のためという意識が強くあると、どうしても“みんな”の満足度が必要になって、最大公約数的なおさまりになってしまう。

どちらかというと、ぼくはもっと個人的にならないといけないと思っています。閉鎖的な空間でありたいわけではありません。順番として、まずは“個”を強めて、追究していきたい。その結果、みんなが面白がって、集まってもらえる空間でありたいという思いがあります。なので、ぼくらに興味を持ってくれた方の話はまず聞いて、試せるものは試しています。そういうフットワークの良い蒸留所になりたかったのです」

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大きな企業や団体でなくても、個人や小さなチームのアイデアや理想を形にする場所として「公共空間活用」という選択肢を提示したい。そんな思いで取材した『mitosaya薬草蒸留所』。

江口さん一家の周りでは、トライアンドエラーを繰り返しながら、常に新しい出来事が起こっているように見えました。全国の多様な人々が『mitosaya薬草蒸留所』の「個」に惹かれて集まり、関わり合いながらなにかを生み出そうとしている。そんな「個」のうねりからはじまる、新しい「パブリック」の形を垣間見たのかもしれません。

「園」に視点を変えた公共空間のユニークな探し方、地域の方々との意外な交流まで、『mitosaya薬草蒸留所』の新たな一面を知る取材となりました。

江口宏志/Hiroshi Eguchi
蒸留家。ブックショップの経営やアートブックフェアの運営に関わった後、2015年に蒸留家へと転身。2018年に千葉県大多喜町の旧薬草園を改修し、果物や植物を原料とする蒸留酒、オー・ド・ヴィーを製造する「mitosaya薬草園蒸留所」をオープンした。千葉県鴨川市で植物の栽培と採取を行う、農業法人株式会社苗目の取締役も務める。

mitosaya 薬草園蒸留所
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜486
http://mitosaya.com

編集:中島彩
撮影:森田純典

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