貴族文化が息づく、市民のための図書館
カンヌの中心市街地から車で10分ほど。海風を感じながら高級住宅街のなかの坂道を登っていくと、優雅な歴史を物語る邸宅が姿を現します。これが「Médiathèque Noailles(ノアイユ図書館)」です。
実はこの建物は、1881年に建てられたロスチャイルド家の別荘。ロスチャイルド家といえば、銀行やワイン、芸術支援でも知られるヨーロッパ屈指の名家です。その栄光を表すかのように、外観は左右対称に整った窓と中央から張り出した翼部を備え、新古典主義様式(ネオクラシシズム)らしい風格を漂わせています。

館内に入ると、まるで時間が止まったかのよう。窓からは南仏のさわやかな風がふんわりと吹き抜け、歩くたびに古い床材がキシキシと小さな音を立て、積み重ねられた年月を静かに物語ります。
かつて応接室だったサロンは閲覧室に、半円形の温室は雑誌コーナーに。上階の旧アパートメント部分は音楽や映像資料室として活用され、当時の面影を随所に残しながら市民の日常に寄り添っています。
パズルゲームを楽しむマダムたち、パソコンに向かう学生やビジネスマン、本を選ぶ親子。華やかなリゾート地のイメージとは違って、ここにはほのぼのとした日常の時間が流れています。


南側のテラスには半円形のベランダがあり、その先には地中海・熱帯・アジアの植物でデザインされた庭園が広がります。19世紀末、世界各地から珍しい植物を収集して庭に植えることは、富と教養を示すステータスでした。
繊細な彫刻が施された壁面や優雅な階段ホール、庭園の景色。図書館の日常風景の合間に、かつての貴族の華やかな社交場の空気が、いまもそっと漂っています。

貴族の邸宅が図書館になるまで
19世紀後半、小さな漁村だったカンヌは、鉄道の開通をきっかけにヨーロッパの上流階級が集う避寒地のリゾートへと姿を変えていきます。このロスチャイルド家の別荘は、当時の社交舞台の象徴でした。
しかし第二次世界大戦中、豪華な庭園は市民のための菜園へと姿を変え、戦後、荒廃した邸宅はカンヌ市に引き取られます。そして1947年、市立図書館として新たな命が吹き込まれました。
かつて貴族の社交場だった空間に、本や音楽、映像などの情報媒体が集まり、人々が知と文化を分かち合う図書館へ。いまでは歴史的建造物として登録されています。

次世代へ引き継ぐための循環モデル
この施設の強みは、収益性もあることです。カンヌといえば、国際映画祭をはじめ世界中の文化人や観光客が集まる国際リゾート都市。ここでは主に公共の図書館機能を提供しつつ、映画祭や国際会議の時期には庭園やテラスを貸し出し、映画のPRイベントやカクテルパーティー、ブランド発表会などに活用されています。
収益源を持つことで維持管理費の一部をまかないながら、街のプロモーションにも貢献し、歴史的建物を次世代へ引き継ぐ循環を生み出していると考えられます。

ヨーロッパで歴史的建造物を公共施設に活用することは珍しくありませんが、ノアイユ図書館は、貴族文化、公共文化、そしてカンヌという街の産業がひとつに溶け合う稀有な事例です。
日本にも、明治から昭和初期にかけての洋館や迎賓館、銀行など、歴史の香りを残した物件が全国各地にあります。それらをただ保存するのではなく、図書館という日常的な機能をインストールすることも活用のひとつの手段かもしれません。そして、その街ならではのイベントも開催することで、地域性や観光ともつながる場所へと変えていけるはずです。

140年の歴史を背負うノアイユ図書館。かつてシャンデリアの下で貴族たちがワインを傾けていた空間で、いまは市民が本を手にくつろいでいる。その変遷に想いを馳せながら、「使うことで保存する」という理念を改めて教えられた気がしました。
参照:
The Noailles media library
https://www.cannes.com/fr/culture/mediatheques-et-bibliotheques/reseau-des-mediatheques-et-des-bibliotheques/mediatheque-noailles.html
Loc’Hall
https://loc-hall.fr/en/lieux/mediatheque-noailles
