神奈川県愛川町に2022年にグランドオープンした地域共生文化拠点「春日台センターセンター」は、高齢者介護、就労支援、放課後等デイサービスなど7つの機能を融合した施設。前編では、施設を運営する社会福祉法人愛川舜寿会理事長・馬場拓也さんにご案内いただいた施設ツアーをレポートしました。後編では、馬場さんと公共R不動産 飯石藍による対談をお届けします。馬場さんご自身のこれまでの経験や思いをめぐりながら、春日台センターセンターが生まれた背景に迫ります。

酪農の実家で生まれ育ち、福祉と出会うまで
飯石:施設のご案内、ありがとうございました。とても軽やかで、どんな立場や障害、生きづらさをもった人にも優しく開かれていて、ここでいろんな人と交わると生きる希望が湧いてくるような、そんな希望を感じられる場所だなぁととても感動しました。コロッケもおにぎりも美味しかったです。
ここからは、春日台センターセンターができた経緯や、その背景にある思いについて詳しく伺いたいと思います。馬場さんご自身が、なぜこうした場を作られたのかとても気になっています。ある意味行政が担うような公共性の高い部分を、社会福祉法人として担っているようにも見えていて。もともと、ご出身が愛川町なんですよね?
馬場:はい、生まれも育ちも愛川町です。小さい頃から野球少年で、高校からは山梨の強豪校に進学し寮生活をしていました。大学を卒業してからはアパレル業界で約10年間働いていたので、地元を離れていた期間は20年近くになりますね。愛川町に戻ってきたのは2010年、34歳の時です。
飯石:なるほど。愛川町でのこども時代は、どんな暮らしだったんでしょうか?
馬場:15歳くらいまで、実家が酪農を営んでいたので、牧場で育ちました。牛のお産に立ち会ったり、鶏が卵を生む瞬間を、幼い妹や弟とジ〜っと見つめたり。孔雀や鯉、犬や猫、いろいろな生き物と同じ空気を吸って暮らしていました。それは美しさを眺める時間ではなく、命のリズムに身体が静かに応答していた時間だったのだと思います。そこでは、“ちがい”が共に生きることの自然さが、空気のように当たり前の暮らしのなかにありました。ある意味では今でいう「ダイバーシティ」が自然に根付いたような場所でした。
その後、脳出血で寝たきりになった祖母のために、両親が酪農を辞めて社会福祉法人を立ち上げ、特別養護老人ホームを開所しました。
飯石:そうすると、小さい頃から福祉の世界が身近だったんでしょうか?
馬場:いえ、そうでもないんです。特別養護老人ホームができたのは、僕が高校に入ってからで。20代の頃は、僕が事業を継ぐなんてまったく考えていませんでした。両親が法人を立ち上げた背景や思いも、愛川町に戻ってから自分で調べてはじめて知りました。

アパレル業界から福祉の道へ
飯石:そうだったんですね。大学卒業後に進んだアパレル業界には、どんな思いで向かったのでしょうか?
馬場:人に関わる仕事がしたかったんです。大学の夏休みに、山梨の清里のペンションで住み込みのアルバイトをしていたのですが、そこでお世話になったおじさん(社長)がとても素敵な人で。ユーモアがあっていつも周りを笑顔にして、涙もろくて人情に厚い。そんな魅力的な方に「馬場はサービス業のセンスがあるな、歴代の住み込みの中でナンバーワンだよ」と言ってもらえたんです。当時その言葉がすごく嬉しかったんですよね。
大学時代も野球に没頭して、卒業後の仕事のことは具体的に考えられていませんでした。同級生がスポーツメーカーやフィットネスクラブのインストラクターなどの道に進むのを見ても、どこかしっくり来なかった。でも、せっかく僕のカリスマであるバイト先の社長にそう言ってもらえたし、接客の道に進んでみようと。何気なくGAP JAPANのアルバイトを始めてみたんです。
飯石:なるほど、ちょうどGAPが日本に進出してきたタイミングでしょうか。
馬場:そうなんです。ファストファッションの格好良さに惹かれて始めたのですが、2年ほど経って、より顧客に近い仕事をしたいと思うようになって。それで履歴書を持参して表参道の高級ファッションブランドを直接回りました(笑)。
飯石:それはすごい行動力ですね!
馬場:プラダ、グッチ、ルイ・ヴィトン、シャネル、プラダなどを訪ね歩き、最終的にアルマーニに採用されました。そこから約10年間、販売員として働き、トップセールスを記録することもできました。
ただその間も、実家のことや「田舎の長男」であるという意識はずっと心のどこかにあって。いつか帰るかもしれないという思いは消えませんでしたね。
飯石:いつか愛川町に戻るかもしれない、と。
馬場:そうですね。アルマーニでの経験も、いずれ福祉の現場に持ち帰れるかもしれないと思っていました。給与やボーナス額の判断の仕方、商品の売り出し方など、「経営者」の視点で観察していました。なので、会社の判断が何か自分の不利益になっても、すべて学びとして捉える癖がありました。とにかく自分なりに売り上げを上げる。そのための試行錯誤や工夫を繰り返す毎日でしたね。
飯石:今とは違う世界で働かれていたわけですが、そのメタ的な視点が今の活動にも活きているんですね。
馬場:はい。高級ブランドではいわゆる成功している経営者や芸能人、アスリートの方々と接し、貴重な経験がたくさんできました。でもどこかで「いつまでこの生活を続けるんだろう」という違和感もあって。そんな時に、老人ホームの盆踊りの手伝いで愛川町に帰ると、空気のおいしさや夕陽の美しさ、人と人のつながりの濃さなど、日常のひとつひとつが贅沢に感じられたんです。
飯石:豊かさの感覚が変わったんですね。
馬場:年収1億円を目指すよりも大切なことがある、と心から思えるようになりました。それでアルマーニを退職して、後継者として両親の立ち上げた特別養護老人ホームを手伝い始めたんです。高齢者やそのご家族の方と密に接し、食事や会話などの何気ない生活のひとコマから、人の最期に立ち会う瞬間まで、様々な人生のシーンに向き合う中で、本当に綺麗ごとではなく、生活の豊かさや人との関わりを大切にしたいと本気で考えるようになったんです。

みんなの暮らしを語り合う場所
飯石:そういった思いがベースにあったのですね。春日台センターセンターの構想の土台となった、住民参加型の語り場「あいかわ暮らすラボ」(以下、あいラボ)を始めた経緯も教えてもらえますか?
馬場:2016年に、当時の春日台センターのオーナーからスーパーを閉めるという話を聞いて、この風景や存在をどうにか守り、未来につなげていけないかと思ったんです。
それで僕に何ができるかと考えた時、まずは「この町に暮らす」ことそのものをみんなで考える学び場をつくりたいと思ったんです。それで、設計を任せたいと思った建築家の金野千恵さんと一緒にあいラボを立ち上げたんです。

飯石:「福祉」ではなく、より広い「暮らし」をテーマにしたんですね。どんな意図があったのでしょうか?
馬場:まず、僕自身が「この町で暮らす」ということを問いなおしたかったというのもあります。僕は一度、愛川町の外に出て相対化できているからこそ、この町の良さを感じられる。でも、ずっとここにいる人はそういうことを客観的に感じる機会が少ないんですよね。だからこそ、良いところも不便なところも、本音で語り合える場所が僕にもみんなにとっても必要だと思ったんです。。ここには都会にはないものも多いけど、きっとそれぞれに「ここが好き」と思えるポイントがあるはずだと感じていました。
飯石:なるほど。確かに、そういう場所は少ないですよね。

馬場:例えば、参加者の中に「朝起きたら野菜が届いてる」っていう愛川町の良さを挙げてくれた人がいて。野菜を育てる人も多く、日常的に物々交換が行われている。そういう話をみんなでゆるやかに話して、ホワイトボードに色分けして書き出したりして。
一応、毎回テーマはゆるやかに決めていましたが、基本的には「この町でどう暮らすか」を話すだけ。最初はそんなに続かないと思ってたんですが、意外にも長く続きました。みんな、喋りたいことが山ほどあったんです。
飯石:素晴らしいですね。喋ること、語り合うこと、それ自体が目的のような場ですね。
馬場:そうそう。「寄り合い」自体が目的でいいんだなと。夜遅くまで話して、集会所が閉まった後も外で立ち話が続くのも日常茶飯事。そうなると「そうか、この町には夜に集まれる場所がない」ということにも気付いていく。

ゆるやかに学びが循環する、地域の寄り合い
飯石:なるほど。年齢や立場、職業もまったく違う人たち同士で集まると、ゆるやかな町の仲間のような空気感も生まれそうですね。
馬場:そうですね。一方で、同じような価値観や考え方の人だけの閉じたコミュニティにならないよう、できるだけ多様な価値観をミックスすることも意識していました。
福祉というテーマを前面に出しすぎたり、「町のため」と背負い込みすぎると、どうしても「正しさ」が強くなりすぎる。もっと全体をまるく、ゆるくすること。誰でも参加できる、敷居の低さを大切にしたかったんです。僕自身の研究心からはじめたことですが、気付けば参加者がどんどん増えていきました。

飯石:施設をつくる目的ありきの短期的な取り組みではなく、偶然性やその場の瞬発性が生むムードもあったのだろうなと思いました。
馬場:参加者の主体性を引き出すことは意識していました。僕が全部お膳立てするのではなく、LINEグループとかもつくらず、SNSで日時を発信して「各自チェックしてね」というスタイルにしたり。一例ですが、そうすることで自分で情報を探して動くきっかけをつくりたかったんです。
飯石:なるほど、ある意味自発的なエネルギーを持ってもらいたいという願いも込められているような仕掛けですね。例えばどんな方々が参加していたんですか?
馬場:移住者とか新しいことを始めたい人、自分に合った遊び方や生き方をしている人がよく集まっていました。トレイルランニングが趣味の人たち、農家さん、学校の先生など、いろいろな方がいましたね。
トレイルランニングの人たちからは竹林整備の仕方を教わるイベントを開催したり。その時は150名ほどが集まり、川で筍ご飯を食べたり、竹灯篭をつくって、みんなでわいわい楽しみました。

馬場:今の春日台センターセンターの2階にある寺子屋は、あいラボから生まれた企画です。不登校の外国ルーツのこどもたちに学習支援をしている参加者の話をきっかけに、みんなでその課題についても学びながら、うちでもやってみようということになりました。
飯石:そうだったんですね。みんなができることを少しずつ差し出し合っていくような、素敵なコミュニティですね。
馬場:そうですね。誰かひとりが強いリーダーシップを発揮するのではなく、参加者全員で学びを共有することを大切にしていました。僕自身もいち参加者であり、いちファシリテーター。2016年から僕は大学院に通い、この取り組み自体を研究テーマにし、福祉や地域の事例を視察してはあいラボで報告していました。参加者にもよく発表してもらったりして、福祉や地域の知見をみんなで深めていきました。
居場所と舞台をつくり続ける、公共の役割
飯石:これまでの話を伺った上で、改めて春日台センターセンターで見えた風景を思い返すと、様々な方が溶け込むように混ざり合い、共に生きる姿がとても自然に感じられます。その光景が当たり前に存在していること自体が、どこか奇跡のようにも思えました。
2022年春日台センターセンターがスタートして、今年で3年が経ちました。今後の展開や活動について、どんなことを考えているか教えてもらえないでしょうか?
馬場:やっぱり経営者として、数字にもこだわりたいんです。ちょっと乱暴な言い方かもしれませんが、「稼ぐこと」は楽しいことだと思っています。車にガソリンを入れるように、稼ぐことで、利用者にもスタッフにも還元できるものが増えるんです。自分たちでその手段を見つけ、広げていこうとチームで取り組んできました。
飯石:とても大切な視点ですね。

馬場:おかげさまで、ここは開業3年目でやっと黒字化し、特別養護老人ホームや認可保育園を含む法人全体でも3期連続で黒字を達成しています。ようやく新しい挑戦を考えられるフェーズに入ってきました。
これからは団地の再生に取り組みたいと思っているんです。このあたりの団地は高齢者率が非常に高いのですが、周囲には子育て世帯も暮らしている。団地には住んでいないので、すれ違ってはいるけど、交わることはほとんどない。そこに我々の知見を差し込めないかと。
飯石:なるほど。春日台センターセンターがそうであるように、あるひとつの拠点を中心に人々が自然に交じり合う、そんなイメージでしょうか。それで結果的に「一緒に過ごせる」場であること自体が、地域の安全や多様な居場所づくりにつながりそうですね。
馬場:そうですね。愛川町に戻ってくるまで、僕は「公共」という言葉を意識して生きてきたことはありませんでした。公共は行政が担うものだと考えていた。
でも、非営利団体である「社会福祉法人」は公共を担保する存在なんですよね。この言葉を意識するようになってから、「小学生と高齢者が出会う場になるとと公共性が増すかも?」とか、「広場とコロッケをかけ合わせると公共的な居場所になるかも?」とか、そういう発想で社会を見るようになったのかもしれません。
飯石:民間企業も、利益だけを追う時代ではなくなっていると感じます。馬場さんたちのスタンスは、他の民間企業にとってもヒントになりそうですね。
馬場:「公共をリブランディングする」存在であり続けたいと思っています。もっと僕らなりの公共哲学を実践の中から育てていきたい。
先日ウェルビーイングの勉強会を開いたのですが、WHOが定めるウェルビーイングの大切な要素には「自己決定」「選択肢」「社会的なつながり」という概念があります。僕らがつくる場所でも、「多様な活動や関わり方の選択肢がある」「人とつながり、互いに学び合える」などを大切にしてきた。こうして学び続けている中で、自分たちの取り組みが結果的にウェルビーイング的な居場所を目指していたのだと、答え合わせのような感覚も得ています。これからつくる拠点も、そうした要素が担保できる社会的インフラとして機能するものでありたいと思っていますし、高度経済成長期だった時代では「綺麗ごと」とも言われかねないようなことを、こうして真っ直ぐ言い切れるのも福祉法人経営の面白いところだと思いますし、現代の象徴でもあるなと思っています。
飯石:素晴らしいですね。地域とのつながりを意識し、市民とともに取り組める事業者が1つでも多く増えてほしいと願っています。住民にとっても、自分ができることや持っているものを地域に差し出せる機会があるかどうかで、そこでの暮らしが大きく変わると思うんです。
馬場:そうですね。居場所であると同時に、「何者か」になれる舞台でありたいんです。ここではコロッケ屋さんになれたり、洗濯代行ができたり、ただ居るだけでなく「役割」を持てる。そして、三世代同居の大家族のようにもなれる。


あいラボでやっていたように、話し続け、関わり続けることで、必要な舞台や役割が少しずつ見えてくる。そんな積み重ねをこれからも大切にしていきたいです。

春日台センターセンターは、地域の暮らしや福祉、世代や立場を超えた関わりをつなぎ直す、新しい社会的インフラの実験場。馬場さんの「誰もが役割を持てる舞台」をつくる姿勢や、あいラボを通じた住民参加の取り組みからは、日常の中にある豊かさや学びの機会を再発見できるヒントが詰まっています。今後も、この地域共生拠点がどのように進化し、人と地域をつなげていくのか、注目していきたいと思います。




