多文化が入り混じるシンガポール
東南アジアの金融ハブ・シンガポール。建国から60年あまりの新興国ながら、高度なデジタルインフラと経済優遇政策によって世界中の企業が進出し、整然と高層ビルが立ち並ぶ未来都市。そんなイメージを持って訪れたのですが、いざ街を歩いてみれば、そこには新旧が入り混じる独特の街並みがありました。

現代的なビルの合間にイギリス統治時代の19世紀の建物が点在して、それらは大切に保全されながらうまく商業的に活用されていたり、道路標識や公共サインはすべて英語のなか、まぎれるようにして中国語で書かれた店舗の看板を見かけたり。
中華系を中心に、マレー系やインド系、欧米系など、あらゆる人種が混じり合う街。清潔で治安もいいけれど、どこか混沌とした空気も感じられて、これほどいろんな意味での多様性を肌で感じたのは初めてでした。

そんな多様性に富んだシンガポールですが、順調に経済成長を続ける先進国なので、例に漏れず少子化が進んでいます。2023年の合計特殊出生率は0.97(人口維持に必要なのは2.1)と、世界でも最低水準のひとつ。中心地でも廃校や旧校舎を活用した施設といくつか出会いました。
ローカルコミュニティの拠点として
そんな街を歩くなかで出会ったのが、今回紹介するNew Bahruという施設。ナンチャウ高校(Nan Chiau High School)の旧校舎をリノベーションして、2024年9月にグランドオープンを迎えた複合施設です。
立地としては、シンガポール中心部のリバーバレー地区にあり、日本でいう銀座のような商業地区オーチャードにも近い都心の便利なロケーション。周辺には高級コンドミニアムやオフィス、カフェ、レストランが点在する、落ち着いた雰囲気のエリアです。

地上4階建で、コの字型の旧校舎の建物にレストランやカフェ、ショップ、グロッサリーストアのほか、サービスアパートメントやプリスクールなど、多様な業種が入っています。
最大の特徴は、地元ブランドに特化した構成です。多くのテナントが、クラフトやサステナビリティ、地元のクリエイティブなコミュニティを盛り上げることをコンセプトに掲げて、40以上のローカル中小ブランドやクリエイターが集結しています。
実際に施設を歩いてみるとテナントはどれも個性的で、従来の大手企業やグローバルブランド中心のモールとは一線を画すセレクト。テナントの40%以上がここを旗艦店と位置づけているそうで、まさに“レペゼン・シンガポール”のクリエイティブ拠点といえる場所です。




単なる消費の場にとどまらず、教育や体験型の要素を取り入れた店舗が多いのも大きな魅力。作業スペースを併設するショップもあり、アップサイクルバッグのワークショップやレザークラフト教室、陶芸教室、コーヒーテックブランドによるテイスティングのセッションなど、テーマはさまざま。ほかにもバレエ教室や子ども用のアート教室があったりと、ワークショップや教室で人と交わることで、コミュニティの醸成にも繋がっています。
場所柄もあって、全体の単価はやや高め。どの店舗もデザイン性が高く洗練されており、感度の高い層をターゲットにしたラインアップです。
訪れたのはオープンして10ヶ月経過した2025年7月。施設全体をざっと見て回ったところ、ほぼ満室稼働。周辺の住人らしき人が食品の買い出しに来ていたり、午後にはプリスクールに子どもを迎えに来る親子が広場で談笑をしていたり、夕方になるとバーはあっという間ににぎわいはじめたりと、すっかり地域に馴染んでいる様子でした。
どのテナントの店員さんもとてもフレンドリーで親切。取り扱う商品は個性にあふれていて、居心地がいいのに刺激がある、そんな空間でした。
歴史を引き継ぎ、未来をつくるローカル企業の挑戦
New Bahruの建物は1969年に建設されました。エリアの少子化にともなって、ナンチャウ高校は2000年に校舎をニュータウンへ移転。その後、シンガポール土地庁(SLA)が旧校舎の活用事業者を公募し、マスターテナント制度によってローカル資本のThe Lo & Behold Group(以降、L&B社)が採択されました。L&B社が2500万シンガポールドル(約27億円)の大規模改修投資を行い、9年の賃貸借契約を結んで運営を行っています。
L&B社は「シンガポールをもっと愛される場所に」という使命を持ったシンガポール発のホスピタリティ企業。複数のレストラン、バー、ホテル、ライフスタイル施設などを手がけ、これまでの歴史的建物を活用した革新的な空間づくりの実績をもって、New Bahruのプロジェクトに挑みました。
L&B社がテナントのキュレーションを手がけ、同社直営のレストランも3店舗入居しています。プロデューサーにとどまらず自らテナントとしても入居することで、他のプレーヤーと目線を合わせながら運営を行っていることもポイントかもしれません。

ちなみに、都心に近い高級エリアゆえ賃料も高そうですが、それでも独立系ブランドやクリエイターが入居し続けられるのはなぜなのか。そしてL&B社による高額投資の回収の仕組みも気になるところ。
賃料は公表されていませんが、小規模ブランドをサポートするために、固定家賃に加えて売上連動の家賃システムやポップアップ、実験的出店の短期リースなど、柔軟で多層的な賃料体系になっているのかなと想像しています。

日本では、利便性の高い立地にある公共不動産が、行政の資料館や記念館などの公的用途に充てられている例をよく見かけます。もちろん市民への開放や還元の側面もありますが、民間に貸し出せば高い坪賃料が見込めるような物件でも、行政用途では収益化が難しく、魅力的な改修が進まないために利用者数も伸び悩む。そんな機会損失が生まれているケースが少なくないように感じます。
一方、シンガポールや上海では、一等地にある公共不動産や歴史的建造物がよりダイナミックに商業利用されている印象を受けます。立地と建物のポテンシャルを最大限に生かすことで多くの人でにぎわい、街のスポットになっている気がしました。
New Bahruの商業利用でありながらも地域のシンボルを継承する姿勢や、パブリックマインドを持った運営方針はすごく示唆的です。このように明確な想いやビジョンを持った民間事業者に積極的に貸し出し、“稼ぐ”方向へと舵を切ることで、地域経済を動かしつつ、建物の維持管理も含めた持続可能な活用につながるのではないか。日本でも公的不動産の流動化と地域経済の循環が、もっと有機的に結びついていくといいなと、この施設を歩きながら考えていました。
世界観を支える建築デザイン
話を戻しまして、ユニークなテナントが集うNew Bahruを支えているのが建物のデザイン。
テラコッタやサーモンピンクの色合いを基調に、サインのグラフィックがアクセントになって絶妙にかっこいい。テナントそれぞれのファサードや空間デザインは三者三様でまさに個の集合体という感じですが、校舎自体の建築デザインがトーン&マナーとなり、全体の世界観をとりまとめています。




きらびやかな装飾はなく、シンガポールに昔から根付くモダニズム建築をリスペクトしたリノベーション。ディテールを見てみると、コンクリートのヴォールト屋根、ブリーズブロック、階段など、旧校舎の雰囲気が随所に残されています。
そして、なによりNew Bahruを象徴するのが、校舎を取り囲む中央のスペースにある芝生広場。トランポリンやブランコ、巨大な滑り台などアイコニックな遊具や家具が備えられていて、子どもたちが楽しそうに遊んでいました。
この広場は施設の枠を超えて、リバーバレー地区のコミュニティの場を意識して新しく整備されたそう。かつての学舎の歴史や質感、地域の記憶といった場所性までも大切にして設計されています。

シンガポールのギャップに完全にやられた
地元メディアのインタビューによると、L&B創業者のテン・ウェン・ウィー氏は「シンガポール中の優れたインディペンデントビジネスをここに結集させることで、New Bahruがシンガポールのクリエイティビティの礎となりたい。さらには、起業家やクリエイターたちに新たなビジネスを探求する自信を与えて、テナント同士のコラボレーションも促進されることを狙っている」と語っています。
実際にサービスアパートメントが施設内の飲食店と提携して、宿泊客向けの特別プランを提供していたり、ファッションブランド店がベーカリーのユニフォームを手がけたりと、テナント同士のコラボレーションが始まっているとのことです。

初日は、ベイエリアにそびえ立つ高層ビル群の夜景を眺めながら、東南アジアの中心都市としての勢いや近未来的なエネルギーを肌で感じて始まったシンガポールの旅。そんなイメージを一変させたのが、翌日に出会ったNew Bahruという場所でした。
とある雑貨店に入って商品を手に取ると、店員さんがその商品のストーリーや手がけたシンガポールのクリエーターについて、生き生きと説明してくれました。まるで自分のことのように嬉しそうに話す姿が印象に残っています。
グローバリズムの波に乗って経済成長を遂げる一方で、地域に根差したクリエイティブな場がしっかりと育まれている。シンガポール人が自らのアイデンティティを大切にしようとするパッションが、新しい消費やコミュニティのかたちをつくりはじめている。そんな変化の兆しを感じました。
ベイエリアの摩天楼とNew Bahruの手触り感。そのあまりのコントラストに頭をガーンと殴られたような衝撃を受けつつ、この国の奥深さにぐっと惹き込まれ、シンガポールへの興味はますます高まるばかりです。
参照:
https://www.newbahru.com/
https://design-anthology.com/story/new-bahru

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