国分寺のまちで創業17年目を迎えるカフェ「クルミドコーヒー」を経営する、影山知明さん。カフェ経営だけでなく、出版事業、社員寮を改修したまちの寮「ぶんじ寮」の運営、まちの投票率を上げるキャンペーン(国分寺の投票率を一位にプロジェクト)から新たな地域金融の仕組みの構築まで、顔の見えるまちの仲間と、多岐にわたるプロジェクトを手掛けておられます。
子どもと行けるカフェを探していて、クルミドコーヒーを知った私は、影山さんの二冊目の著書である『大きなシステムと小さなファンタジー』に描かれた影山さんの理念に大いに感銘を受けました。
行政という大きなシステムが所有・管理することが多い公共空間に、小さくトライアルを仕掛けてきた公共R不動産として、ぜひお話をうかがいたい!影山さんにとって2つ目のお店となる、国分寺駅近く、胡桃堂喫茶店ではじまった対談は、戦略コンサルティングご出身の影山さんの冴えわたる思考のもと、公共R不動産へのアドバイスもいただき…そんな贅沢なインタビューの模様をお届けします。

1973年東京、西国分寺生まれ。大学卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニー社を経て、独立系ベンチャーキャピタルの創業に参画。その後、株式会社フェスティナレンテとして独立。2008年、生家を建て替え、多世代型シェアハウス「マージュ西国分寺」を開設。1階には、こどもたちのためのカフェ「クルミドコーヒー」を開業。2017年には、2店舗目となる「胡桃堂喫茶店」をオープンさせた。店を拠点として、まちの仲間と共に、クルミド出版、胡桃堂書店、クルミド/胡桃堂の朝モヤ、地域通貨ぶんじ、ぶんじ寮、ぶんじ寮じちかい等を事業化。開かれた場づくりから、一つ一つのいのちが大切にされる社会づくりに取り組む
「公」と「共」を分けることの重要性
松田: 今日はありがとうございます。まず、影山さんが前著『ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~』で書かれていた、「パブリックコモン」の考え方について教えてください。ご著書のなかでは、「私とあなたが思いがけず出会い、互いに重なり合いの領域をつくりながら互いを引き出し合う、そうした可能性の場」を「パブリックコモン」と名付けておられます。
「公共空間」という言葉自体の定義もさまざまですが、例えば国分寺のまち全体を「公共空間」と捉えたときに、どんな場所であってほしいと考えていらっしゃいますか?
影山:そうですね。入り口としては、まず、「公共」というひとつの言葉でまとめてしまうこと自体の違和感がずっとあります。そういう意味で「公共R不動産」というネーミングそのものから、議論ができるといいと思っています。
松田: 「公共」をまとめてしまうことへの違和感、ですか。

影山:全体としてはもちろん「公」の可能性や役割は認識しながら、「公(public)」と「共(common)」は違うというスタート地点を大事にしたいなと思っています。むしろ、どちらかというと、「共」が力をつけていくことで、「公」の領域をコンパクトにしていけることが理想なんじゃないかと考えているんです。
松田:「公」と「共」を分ける。これは非常に重要な視点ですね。「公」は行政が担うパブリック、「共」は市民が自発的につくり上げるコモンズ、という理解でよろしいでしょうか。
影山:はい。「公」と「私」はスタート地点がまったく異なります。行政が担う「公」は税金を財源とし、市民全体の生活基盤を維持するための巨大なシステムです。
一方、個人や企業が活動する「私」の領域は、その起点に個人の自由な意思や、経済的自立があります。その公と私の間に「共」の領域があります。カフェや喫茶店のような場所も、地域に開かれた「共」の領域の受け皿になれると思っています。
松田:まさにクルミドコーヒーや胡桃堂喫茶店もそうですね。
影山:ええ。ここは、私たち個人が営む「私」的な場所ではありますが、同時に、さまざまな人がふらっと立ち寄り、思い思いの過ごし方をする場所でもあります。これは、かつての日本の「縁側」のような中間領域、すなわち公と私の間にある「共」としてのコモンスペースに相当するのではないか、と考えています。
17年間やっていると、お互いの顔と名前が一致してくる仲間が増えてきます。ここで生まれる出会いややり取りから、まちや社会をつくっていく新しいアイデアや縁が始まっていくという可能性を信じて店を営んできました。

行政主導の「場づくり」の限界
松田:近年、行政が主体となって「コミュニティカフェ」のような場づくりに取り組む事例が増えています。地域交流拠点という形で、行政の施設内にカフェ機能を導入したり、委託したりするケースですね。しかし、運営の難しさを耳にすることも多いです。
影山:行政主導の場づくりの難しさは、その根源的な構造にあります。税金を使って公共空間を運営する行政は、必然的に「説明責任」から自由になれません。
松田: 事前に事業計画と成果を見積もる必要がある、ということですね。
影山:まさにそうです。「公共空間をつくったときに、そこを通じてどんな成果を生み出すのか?」を事前に説明できないと、その用途が承認されない構造があるわけです。
この構造の中で、行政は「高齢者のための場所にしましょう」「子育て中のお母さんたちのための場所にしましょう」というように、市民を属性で縦割りにしていく方法論を取らざるを得なくなる場面が増えていきます。
松田:「誰のための、何のための場所か」を明確にしないと予算が取れないから、結果として場が限定的になってしまう。
影山:そうです。しかし、クルミドコーヒーのようなコモンズの魅力は、そこを開くことで想像もしなかったような出会いや出来事が起こっていくことです。誰かの計画通りに動くのではなく、「偶発性」へと開くことこそが、まちを活気づける鍵だと考えています。
松田: 偶発性。まさに予測不能な面白さですね。
影山: 行政がその担い手となるには、「どんな成果が起こりますか?」という問いに対し、「それは事前には分かりません」と言い切る覚悟と、その不確実性を許容するシステムが必要です。
また、自治体職員の多くが「経営」を理解していないことも、場を経済的・経営的に成立させる上での致命傷になっています。持続可能性を担保できなければ、それは真の意味でのコモンズとはなり得ません。

賑わいを超えた価値の評価軸
松田:影山さんのお話を聞くと、コモンズの価値は、「賑わい」や「来場者数」のような定量的な指標では測れないということがよく分かります。行政はとかく数字を求める傾向にありますが、真の豊かさを測る尺度はどのように変えていくべきだとお考えですか?
影山:定量的に測れる範囲は極めて限られます。最終的に場や取り組みの価値を図るのは「主観」だと私は考えています。つまり、「そこに関わった人がどう感じているか」にこそ本質がある。測定の目線を客観的な数値から主観的なエピソードへと振っていく必要があると思います。
松田: 主観的なエピソードの重みを重視する、と。
影山:「ここでこういう事情があって、こういうことが起こって、その結果自分はこんな風に感じた」という物語が、一つひとつの出会いの先に必ずあるわけです。
そのためには、アンケートで全体を把握しようとするのではなく、できるだけ日常的に現場に立ち会い、一人ひとりの具体的なエピソードや物語を細やかに拾い上げていくことでしか、取り組みの真の価値は見えてこないと思っています。たとえ一人の、一つの事実であったとしても、その重みを重視することが、真の豊かさを捉えるために必要です。
松田:それはメディアの役割とも非常に近いです。いかに個人の物語をていねいに拾い上げ、その価値を社会に伝えるか、ですね。
影山:そして、この主観的な価値を積み重ねていくことで、まちに「社会関係資本」が育っていく。一定の相互理解や信頼関係に基づいた、顔の見える関係性です。これは、いざという時に地域を支える力となります。

松田:その社会関係資本を育むために、カフェのような場所はどのような機能を持っていますか?
影山:私は、人と人との関わり合いを「頻度(どれぐらい頻繁に顔合わせるか)」と「深度(どこまで深いやり取りができるか)」に因数分解できると考えています。
松田: 頻度と深度。
影山:カフェのような場所がまちの辻にあることで、目的がなくても人が集まり、日常的に顔を合わせる「頻度」が生まれます。こうした頻度やコミュニケーションの量は、大した話をしていなかったとしても、お互いの「愛着」へとつながっていくものです。
お店を17年間続けてくる中で、ここでの出会いも一つのきっかけとなって、何かしらまちでの活動を始める人が多く生まれていることを実感しています。
そして、こうした関わりを考えるうえでとても大事なことが、「いかし合う関係」を築くこと。自分のメリットの前に相手をいかすことを考え、その結果、相手も自分をいかしてくれる。こうした前向きな相互性が、一人一人の力を引き出していってくれます。

顔の見える「共」への投資
松田:そうした「共」の精神、コモンズの力を、単なるボランティアや善意ではなく、具体的な経済活動と結びつけるための仕組みとして、影山さんが関心をお持ちの公共空間に関する領域はありますか。
影山: 空き家の問題はずっと考えています。
松田:空き家は所有者が貸したがらず、市場に出てこないのが課題と感じています。
影山:そこには行政の出番もあると思うのですが、信頼できるコモンズが借主になることで、大家さんに対して安心材料になるのではと考えて、旧社員寮をまちの寮として開く「ぶんじ寮」をはじめ、今もまた、新しい仕組みづくりをはじめています。
たとえば今よりも安い家賃で多くの人が暮らせるようになれば、職業選択の自由度も高まり、コモンズを豊かにするために自分のリソースを使う人も出てくるかもしれません。公共R不動産も増え続ける空き家の問題に対して、どこかで突破口を見つける役割や事例づくりを担えるといいですね。
松田:突破口を探していきたいです。
影山:もうひとつ、不動産事業の未来を考えたときに、その不動産に伴うお金の流れにも関与していけないと力を持てない、傍観者になってしまうという懸念があります。不動産業の近くに、この「顔の見える投資」を実現する金融事業を持てるといいな、と考えて、僕らは国分寺に「ぶんじキャピタルマーケット」を開設しようとしています。
松田:クラウドファンディングのような取り組みですか?
影山:近いですが、寄付ではなく、あくまで金融の仕組みとしてやろうとしています。たとえばまちで、「八百屋を始めたい」「シェアハウスを始めたい」「電力事業を始めたい」といったさまざまな事業者が立ち上がろうとするとき、「あなたはそれらのうちのどれに1万円を投じますか?」と問うわけです。「ミュージックセキュリティーズ」という、創業以来関わってきた会社のプラットフォームや免許を借りるかたちで行います。
松田: 影山さんの会社ではなく、既存の金融の枠組みを使うのですね。
影山:この仕組みの面白さは、「地域の人々が、自分たちの身銭を切ってでもこの取り組みを応援したいと思っている」という、ひとつの意思表明になることです。なんとなく「この政党」というような大雑把な意思表示ではない、「特定のこの事業」「特定の物件のこの使い道」という具体的な選択を通じて、そのまちの未来が現実につくられていく。
松田:これは非常に面白いですね。お金の流れに地域が関与していくことで、不動産事業の未来も変わってきそうです。

「大人のなかの子ども」の解放
松田:最後に、影山さんの「コモンズ」に対する非常に哲学的な視点について、うかがわせてください。クルミドコーヒーの紹介では「こどもたちのためのカフェ」という言い方をされていますが、これは、どのような意味合いが込められているのでしょうか。
影山:これは文字通りの子どもたちだけでなく、「大人のなかにいる子どもたちに向けて」という気持ちが強くあります。現代社会では、合理的な判断をして、客観的な数値を重視する大人ばかりになってしまったように感じます。
松田: 説明責任を果たせる合理的な人こそ大人だと。
影山:はい。大人こそがもっと子ども化していくといいなと思っていて。「このまちの大人たちはみんな子どもっぽくて、いつも理屈に合わないことばっかりやってる」みたいなまちになったら、子どもたちももっと子どもらしく、のびのびと遊ぶようになるんじゃないかと思います。
松田:大人が奔放さ、生命力を取り戻すことが、子どもにとっての最良の環境になる、ということですね。
影山:子どもは、大人の世界に合理性や規律があることを敏感に感じ取って、「結局最後は大人の世界に行かなければならない」と見抜いて、根っこの希望を失っていると思います。
だからこそ、公共空間をはじめ、大人たちが率先して遊び、騒がしく、理屈に合わない奔放さを取り戻すこと。これが、まちの真の活気につながると思い、自らその先頭を切っていきたいと思っているんです(笑)
松田:計画や効率性から少し離れて、非合理性、偶発性を楽しむ大人の背中を見せる。こども家庭庁などが推進する「こどもまんなか」の前提として、まず大人が変わらないといけませんね。

「いること」の価値
松田:「子どもらしい大人」がたくさん存在するまちでなら、定量化しにくい、その場に「いること、いられることの価値」も見い出せるような気がしてきました。公園などの公共空間は、本来目的がなくても、ただ「いる」ことができる場所だと思うのですが、影山さんがおっしゃるように、そういう場を豊かにするためには、公園なら公園管理者のように誰かがそれなりの時間、その場所に「いる」ということも大事だと思っていて。
ただ、そこに「いる」だけでは業務にならないから、仕事としては清掃や維持管理などになるのですが、社会関係資本をつくっていくためには「いる」ということが一番大事なのじゃないかと…。
影山: 必ずしも行政職員が「いる」べきかには議論があるかもしれませんが、現場に「いる」ことの価値を仕事として定義し、時間を費やせるようにすることで、コモンズが育つ部分はあるだろうと思います。コモンズが育つと、地域の助け合いによって介護や学校運営などの社会福祉や教育の課題が受け止められるようになり、結果として公が税金で担うべき公共サービスの仕事が軽減されるという結果にもつながっていくでしょう。
松田: 「いること」が回り回って、公の仕事を楽にする。
影山:ええ。この理屈を行政が理解し、市民による「共」の領域をつくっていくことが、これからの厳しい財政のなかで重要だという認識を持てるか。それが、私たちがいま、公共の未来を考えるうえで最も重要な問いだと考えています。
松田:「公」と「共」を分け、その上で「共」を力づけることが、未来のまちを支える持続可能な道筋だという気がしてきました。本日は貴重なお話をありがとうございました。




