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ハビタ的 自然化する都市のつくり方
  ハビタ的 自然化する都市のつくり方

横浜の住宅地に開かれた、ソーシャルインフラとしての畑|ハビタ的都市のつくり方 vol.4

人間や植物、その他の生物たちが気持ちよく共存するハビタット(居住・生息空間)をつくる、これからの都市デザインについて考える連載「ハビタ的 自然化する都市のつくりかた」。vol.4では、ソーシャルインフラとして機能する、横浜市旭区住宅地のコミュニティにひらかれた「白根のはたけ」についてご紹介します。

畑の手押し井戸でジャガイモを洗う

横浜市旭区白根通り地区の住宅地の一角にある畑。7月の梅雨の雨間にジャガイモの収穫に向かった。

この日参加したのは、ここ「白根のはたけ」で食農教育を実践する畑オーナーの金子光広さんと、料理研究家の菅千明さん。畑では、3月に親子連れの家族10人ほどと植え付けを行った。私もその時に金子さんに誘われたので、どれぐらい大きく育っているのか楽しみだ。住宅に囲まれた畑は、500㎡程の大きさだ。

「白根のはたけ」オーナーの金子光広さん

素手でふかふかの黒い土をそっと剥ぐ。土は湿っていて粘土のような感触。ころころと丸い大粒のジャガイモがたくさん出てきた。たくさん取れるのが嬉しくて、どんどん収穫トレイに乗せていく。土から取り出したイモの重さを図ってみると3個で500グラム程と、しっかり身が詰まっている。

畑の脇には手押し井戸があり、イモの泥を洗うことにする。青い鋳造性の古い手押しポンプには、呼び水ととして、地下水を組み上げるための水を最初に少し足して、それからレバーを上げ下げする。レバーは最初はスコスコと取っ掛かりの無い感触なのだが、そのうち、水が上がってきて圧がかかり、レバーを押す力に応じて、水がどっと出る。これが無性に楽しくて「もっと泥のついたイモはないですか」と、手押しポンプを押し続ける。

手押しポンプのある井戸

井戸は7mぐらいの深さの浅井戸で、水はいくら使っても枯れることはないそうだ。近隣の家にも4つほど井戸があり、周囲の谷戸地形(丘陵地が浸食されて形成された谷状に囲われた地形)から地下水が通る「みずみち」になっているようだ。以前は生活用水として使っていたそうだが、現在は畑の洗い物用に使っているという。

ジャガイモの植え付けの際に、子どもたちが最もはしゃいでいたのがこの井戸だ。大人が楽しそうに水を出していると、子どもたちもやってみたくなるらしく、僕も私もと、大人気の手押し井戸だった。

この井戸は地域の災害用井戸にも指定されている。普段からこうやって使う機会があると、いざという時に地域で井戸の場所や使い方がわかるのは間違いがなく、金子さんも実はそれを意識しているそうだ。

畑を地域にひらくまで

金子さんの白根の畑は、自宅の前にある。ここには、もともとは古い牛舎とこの井戸があった。金子家は先祖代々、農家を営んできた。先代の畑はいまの場所でなく、5分ほど歩いた丘の上に2反ほどあった。祖父までは専業農家で、お父様は農協職員との兼業農家だった。牛舎は祖父の代に建てられ、乳牛を飼育していたという。

「白根のはたけ」に残る牛舎の一部

畑では、ご両親が大根、ジャガイモ、トマト、キュウリなどの露地野菜を中心に様々な作物をつくり、お父様は、小麦をつくり、製麺機で小麦粉をこねて親族にうどんをふるまったりもした。お母様は採れた野菜を近所の白根通りの交差点付近まで一輪車で運び、直売を行ってきた。市場に持っていき安く買い叩かれるよりは、地元での直売を選択した。

直売の営みはなんと50年ほど続いていて、現在でも、たまに、お母様は道端に立たれて直売を行っている。まだ「地産地消」という言葉がなかった時代から、地元の採れたて野菜を地域に半世紀も提供し続けたことは、かけがえのない価値だと思う。

丘の上の畑は、お父様の相続で宅地になっていき、だんだん小さくなっていった。

御両親が高齢となり、家の近くで農業をできたらいいということで、自宅の前の古い牛舎を撤去して畑をつくることにした。金子さんの両親は、農業を通じて地域社会につながっていた。「小さくても畑が近くにあることが大事」と思う金子さんは、丘の上の畑を整理して、畑の土だけは、家の前の土地に移入して先祖の想いを受け継いだ。

「白根のはたけ」全景。住宅地に囲まれたコミュニティスペースでもある。

やがて、お父様は病になり、体が弱り、家から出られない日々が多くなった。

そんな中でも、家の前に畑があり、お母様や金子さんが野菜の世話をしていると近所の人や知人がふらっと訪ねて来ることがあった。金子さんたちにちょっと会ったきっかけで、病気のお父様にも話かけたりもした。家をこもりがちなお父様の表情を近所の人が見れたり、話ができることはお父様や周囲の人びとにとって、とても良い機会だった。

人間関係が開かれる畑

畑をやっていると人間関係が開かれると、金子さんは感じるようになった。

「畑があると人間関係が開かれる」と。それならば、この畑をコミュニティに開けば地域に役立てることができるのではないかと考えた。金子さんが地域の消防団員をしていた経験から、あまり家庭が家だけに閉じてしまうと、災害時に困るという実感を感じていたことも契機になった。近隣が日頃からつながっていれば、いざという時に助け合えると感じてきた。

しかし、地域の防災訓練には役員などの意識が高い人以外は集まらない。日頃から人間関係をつくらないといけないという課題を感じていた。また、金子さんは小学校と地域をつなぐ学校・地域コーディネーター※も務めていた。学校との関わりでは、PTAの役員になかなか地域のなり手がいないという課題もあった。

金子さんはJA横浜の「食農教育マイスター」の資格を持っていた。これは農業体験を通して食の大切さ、食を支える農の役割、地域の食文化などを一般や子どもたちに伝える資格だ。それを活かし、両親のためにつくった畑は、食農教育の場として、コミュニティに開くことに決めた。しかし、食農はあくまでもきっかけにすぎず、狙いは「人間関係を耕すためにやっています」と金子さんは話す。

※横浜市が推進する制度で、学校で求める教育活動のねらいと、地域の特性や地域の人々の得意なことを結びつけて活動する。学校・地域コーディネーターになるためには、学校長の推薦と養成講座の受講が必要となる。(横浜市HPより)

地域に住む人が地元の行事に参加するきっかけとして、ハードルを下げたゆるい場をつくる。活動としては、畑での栽培から収穫までを通した食農体験で、親子での参加や、多世代の交流の場として使われるようになった。純粋に楽しそうだからと畑の活動に参加した地域の人びとの間で人間関係が生まれ、そこから地元の小学校のPTAの役員に就任する人も出てきている。「白根のはたけ」は地域の人材を発掘する役目も果たすようになった。

また、災害時に畑はコミュニティスペースとしても機能している。東日本大震災の際は、横浜市旭区の団地に避難している東北地方の住民に、畑と庭をコミュニケーションの場として提供した。そして、今回のコロナ禍においては、三密にならない屋外空間として地域の親子たちが土と水に触れ合える貴重な機会を提供しているのは冒頭に書いた通りだ。

「地営業」とソーシャルインフラ

金子さんの自宅の周りには畑だけでなく、大家さんとして経営されているアパートがある。アパートの一階には、シェアカフェの古道カフェ(コミチカフェ)があり、地元の野菜を使った料理の提供や、本をテーマにしたトークなどのイベントが行われている。古道カフェは建物の脇を通る鎌倉古道中の道から名付けており、白根のはたけで農業体験したメンバーが店舗の営業をしている。

左 アパート一階のシェアカフェ「古道カフェ」 右 野菜の無人販売所

ちょうど近所の白根通りには鎌倉古道中の道も交差し、源頼朝に従い鎌倉幕府創業に寄与した武将、畠山重忠公の終焉の地も近く、中世まで歴史が遡れる地域だ。地名のルーツであり、この地域の氏神様である白根神社(不動)は、1063年に白瀧山成願寺として源義家が鎌倉景正に命じて建立したと伝わる。金子さんの自宅の付近には、家墓(うちばか)が多くある、金子家のお墓もそのひとつだ。

金子家の家業は農業で、現在では不動産賃貸業を営んでいる地主さんだ。そんな中で決してお金にはならないコミュニティに開かれた畑をなぜ営むかというと、地域への還元という視点に加えて、農のある地域づくり、里づくりを行い、地域のアイデンティティやブランドを育てたいという地主としての長期的な視点もあるという。

折しも近くを通る相鉄線が都心までの直通運転を開始し、それまでは横浜駅から見てさらに奥地であった二俣川駅の地価は上がるが、最寄り駅の鶴ヶ峰駅から少し離れた白根通り地域の不動産価値の行方がどうなるかはわからないという。

今後、人口が縮小する中で、選ばれる郊外住宅地としての価値を高めるためには差別化が必要だ。白根通り地域はもともと畑や水田が多くあったエリアで、時代とともに畑が宅地化されてきた経緯がある。畑や農の営みが残っていることは、人の心を癒やしたり、地域の歴史文化の価値に気づくきっかけとなり、地域の価値向上につながると金子さんは考える。

井戸端会議ができる「白根のはたけ」

金子さんは、「畑や土地は、金子家のもの」という。そのようなこの土地に根付いた地主さんの生業のあり方を、自ら「地営業」と金子さんは呼ぶ。「地営業」は自営業であるし、風土に根付いた営みである。

本連載の杉並区善福寺でも大正時代に地域の地主の篤志家が、地域の100年のビジョンを描き、区画整理事業を行い、風致地区を立ち上げ、公園を整備して良好な住宅地をつくりあげてきたことを書いた。

横浜市旭区の白根通り地域でも、先祖代々「地営業」を営む金子さんが、今後の郊外の変化を見据えて農がある地域づくりをビジョンに掲げ、畑を地域に開いた。井戸端会議のできる「白根のはたけ」は農を通して地域の社会関係資本を耕す新しい「ソーシャルインフラ」なのではないかと思う。それは、生物多様性や水と緑を育む「グリーンインフラ」でもある。金子さんは、「畑は小さくなったけども、農のある里に向けて人間関係を耕すことを、これからも地域でずっと続けていきたいです」と話してくれた。

PROFILE

滝澤恭平

滝澤恭平

ランドスケープ・プランナー/編集者 ハビタ代表、株式会社水辺総研取締役、「ミズベリング・プロジェクト」ディレクター、『ハビタ・ランドスケープ』著者。1975年生まれ。大阪大学人間科学部卒業、角川書店に編集者として勤務。2007年工学院大学建築学科卒業、ランドスケープ設計事務所・愛植物設計事務所にランドスケープデザイナーとして勤務後独立。2014年東京工業大学大学院社会理工学研究科修士課程修了。以降、九州大学大学院工学府都市環境システム専攻博士課程にて都市河川再生とグリーンインフラの研究を行う。2015年水辺総研を共同設立、全国の水辺のまちづくりや河川再生を精力的にサポート。2019年、日本各地の風土の履歴を綴った著書『ハビタ・ランドスケープ』刊行。地元の水辺として、東京杉並区の善福寺川を市民力で里川にカエル「善福蛙」で活動を行っている。