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ハビタ的 自然化する都市のつくり方
  ハビタ的 自然化する都市のつくり方

コロナ以降のランドスケープを考える|ハビタ的 都市のつくりかた vol.3

人間や植物、その他の生物たちが気持ちよく共存するハビタット(居住・生息空間)をつくる、これからの都市デザインについて考える連載「ハビタ的 自然化する都市のつくりかた」。緊急事態宣言が発令され、ライフスタイルが変わった今、広大な緑を有する公共空間が人々にもたらすものとは。vol.3では、「グリーン・ディスタンス」をひとつのキーワードに、安全性を守りながら豊かに暮らす、郊外の可能性を考えます。

風が通る音を聴く

林の中にいる。
背が高いコナラやイヌシデの林だ。
遠くから潮騒のような風の音が聴こえる。
風はだんだん近づいてきて、新緑の木々の葉を揺らし、波のように伝わってくる。
吉祥寺付近の武蔵野台地で最も標高の高い牟礼(むれ)の丘の樹林を
風は撫でていく。
4月上旬の武蔵野台地にはここ数日強風が吹いている。
激しい空気の流れは、地上のあらゆるチリや付着物を吹き飛ばし、
浄化をもたらしているように思えた。
 

疎林の中を、2歳ぐらいの女児と母親が散歩にやって来た。
女児は土の上を、お相撲さんが四股を踏むようにどしどしと歩いている。
女児は大きなコナラの下でしゃがみ、土に触る。
ふかふかの土。落ち葉によってできた腐葉土だ。
もぐらの穴があったようだ。スミレも咲いている。
母親も自然に見守っている。
屋外において、触れることができるというシンプルな体験がとても貴重に思えた。

コロナウイルスはプラスチックのような人工的な環境では、付着後最大3日ほど残存することが報告されている(*1)。
一方では、自然界の健全な表土には様々な植物・小動物・細菌・真菌類がうごめいていて、薄い膜(エンベロープ)しか持たない、人間を宿主とするウイルスはそのような環境では自らを長く維持することができないと指摘される(*2)。
 

緊急事態宣言下の風景

3月末、井の頭公園には花見の自粛要請が出され、
公園事務所により立ち入り禁止のテープが張り巡らされた。

通年は花見客で大いに賑わう井の頭公園の水辺は、人がまったくいない中に
桜が咲き誇る非現実的な美しさを放っていた。

4月7日には東京都に新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が発令され、
毎朝、防災スピーカーからサイレンの唸りとともに発される
「緊急事態が発令されています。できるだけ外出はしないでください」
の声のもと、人びとは外出を自粛し、対面接触を絶ち、まちからは人が消えた。
 

春の訪れとソーシャル・ディスタンス

コロナのこともあったが、年度末の報告書と論文執筆で家にこもりっぱなしになっていた私は、こもるのに疲れ、近所の玉川上水沿いに散歩に出てみた。

外はいつの間にか、春が進んでいたようだ。木々は新緑に輝き、鳥はさえずり、様々な色彩の花が咲いていた。
 

やさしい春の風と光は、私を癒やしてくれた。
玉川上水沿いには、鬱蒼と樹木が茂る土の緑道が続き、畑やまとまった樹林が連続的に現れる。
緑道では、散歩する人びと、ランニングをする人びととすれ違った。お年寄りの方も結構おり、健康そうだ。
ひとはまばらにしかおらず、互いに適度な距離がある。空気はとても美味しい、土の匂いがする。

このようにソーシャル・ディスタンスが取れていて空気の流れがあるところは、感染のリスクは非常に低いだろう。
外に出ること自体を悪いことのように言う風潮もあったが、屋内の三密空間を避けることが要請されているだけで、健康のための散歩は首相の演説でもむしろ推奨されている。
 

冒頭の林も玉川上水沿いにあるが、この疎林の中では、犬を散歩させる人たちは互いの姿を10m以上離れて認識することができる。

文化人類学者のエドワード・T・ホールのパーソナルスペースの議論(*3)では、手が届かないが会話ができるソーシャル・ディスタンスを2m程度、複数の相手が見渡せるパブリック・ディスタンスを3.5m〜7mとしている。逆に親しい人と触れ合える個体距離は120〜45cm、家族等の密接距離は45cm以下だ。

玉川上水の緑道ではソーシャル・ディスタンスが取れ、疎林ではパブリック・ディスタンスが取れていたようだ。それゆえか、人びとの間にはおだやかな安心感が流れ、都会の雑踏のように感染にピリピリしたところはなかった。ソーシャル・ディスタンスを互いに自律的に学習し、生成している現場がここにはあると思った。

土の上を走ること、歩くこと

その樹林にいつのまにか通うようになった。あるときは自転車で、あるときは歩いて、そして走って。

自宅からは自転車で10分ぐらいの距離だ。神田川を渡り、井の頭線を越えて、ゆるやかな坂を上って玉川上水に着く。何度も通ううちに、様々な経路を発見し、家から樹林までのアクセスが身体の中に地図化されていった。

玉川上水沿いの土の道は、走るのにとても適していることに気付いた。土が適度に柔らかく、アスファルトの道を走る時のような衝撃がない。腕をリズミカルに振り、土の上を跳ねるように足を伸ばすと、自然と背筋も伸び、体の歪みが矯正される気がする。
 

玉川上水を走ると、土の匂いが鼻から入ってきたり、様々な鳥の声を聴き分けたり、羽虫の群れを通り抜けたりする。自然界のざわめきを感じながら走る。トレーニングでもないのでずっと走らなくてもいい。歩いてもいい。より深く感じるために走り、歩く。「センシュアス・ランニング」といったところか。

走ることを通して、野生と自分とのあいだに呼応関係が生じる。テレワークが進み、会議もオンラインで行うようになり家にこもりがちになった私には、そのようなデイリーワークを日常に取り入れることで、感覚や心身のバランスを保っているようなところがある。それはひどく心地の良いものである。
 

グリーン・ディスタンス

牟礼の丘の樹林は、そうしたランニングの目標地点となる。その樹間から吉祥寺の街を見下ろすことができ、マルイやパルコも眺めることができる不思議な空間だ。

イヌシデ 、コナラ、ケヤキ、クロマツなどの高木層から成るこの樹林は、かつては枝を薪に、落ち葉を肥料に使っていた薪炭林としての、ムラの入会地(コモンズ)としてのヤマ――武蔵野ではこうした樹林をヤマと呼んだ――であったにちがいない。
 

吉祥寺は江戸時代、明暦の大火以降に五日市街道沿いに開拓された路村だが、牟礼はもっと歴史が古い。ムレは朝鮮語のモロ=丘から転じ、朝鮮半島からの渡来人の集落であったという言い伝えもある。

少なくとも中世以前に遡る武蔵野の農村集落であった牟礼には、いまでも丘陵地に大きな農家と想像を超える広い畑、そして樹林が残り、そこに江戸時代に作られた玉川上水が貫くという基本構造を維持している。

このようなまとまったグリーンベルトが、吉祥寺のまちを南方のエッジとして包んでおり、まちからの徒歩圏内にあるというのは、とても貴重なことだ。特に、テレワークで家にこもりがちになっている時、自宅から歩いてアクセスできるところにグリーンネットワークがあるというのは、健康にとって非常に有益だ。
 

『エコロジカル・デモクラシー』の著者でカリフォルニア大学バークレー校ランドスケープ・アーキテクチャー教授のランドルフ・ヘスターは、野生の自然へのアクセスが、心身の発達、ストレスの削減、病気からの回復にとても効果的で重要であるといった多くの研究を紹介し、すべての人びとにとって野生の自然へすぐアクセスできることの必要性を述べている。

ヘスターによると、「自然が都市の境界をなし、人びとの家から遠くても3キロメートル程度にあり、家の近く400メートルまでに伸びてきている自然の回廊を通って、グリーンベルトへアクセスできる。こうして都市の境界を形作る野生の自然へ、自転車やバスで15分、ジョギングで20分、歩いて45分でアクセスできる」ことが必要だという(*4)。

コロナに感染しないためには「ソーシャル・ディスタンス」が必要だが、さらに健康であるためには、人びとには、適切な「グリーン・ディスタンス」が必要であるのだ。

コロナ以降のランドスケープ――Town-Countryの価値

近代都市計画の祖、エベネザー・ハワードが『明日の田園都市』の中で主張したのは、Town(まち)でもCountry(田舎)でもない、その融合体としてのTown-Country(まち田舎)の価値であった(*5)。Townは社交があり、アミューズメントはあるが、群衆は孤立し、自然は締め出されてしまっている。

Countryには、自然の美しさはあるが、社会生活がなく、仕事がなく、土地は放棄されている。Town-Countryは、自然の美しさがあり、社会的機会があり、簡単にアクセスできる野や公園があると述べられる。そればかりか、Town-Countryには、低家賃で高収入。ゆとりある仕事、起業の機会、資金の流入、きれいな空気と水、明るい家と庭園、自由と協力があると書かれる。Town-Countryの「喜ばしい結合から、新たな希望、新たな暮らし、新たな文明が生まれるだろう」とハワードは筆を進める。

日本に輸入された田園都市はベッドタウンとして矮小化されたが、ハワードが構想する田園都市はTown-Countryを具現化する、職住一体の都市であったことも注目したい。

コロナによる緊急事態宣言が全国に広がり、多くのワーカーが都心に移動せず、自宅でテレワークを行うようになった状況は、逆にひとつの大きな可能性を示しているのではないだろうか。

それは都市の周縁部にあって、ある程度の大きさの樹林や農地、公園が維持されている郊外の価値だ。自転車やバスで15分、ジョギングで20分ぐらいのグリーン・ディスタンスで、グリーンベルトが存在し、人びとがソーシャル・ディスタンスを持って運動や散歩、自然体験ができる郊外だ。飲食店やカフェなど三密空間はしばらく使用できない可能性もあり、上記のような公共空間は、社交の場も兼ねるだろう。

吉祥寺はその理想的な典型と言えるが、他にも練馬、調布、町田、多摩、埼玉、横浜郊外、千葉など、そのような郊外は数多く存在するに違いない。首都圏以外の地方都市でも同様と言えよう。
 

そのようなグリーンディスタンスを持つ郊外で、通勤をせず、各自のペースでゆとりを持って仕事をしながら、ライフワークバランスを充実させ、自律した個人が繋がり、起業の機会も増えていくようなイメージだ。ハワードが百年前に述べたTown-Countryの思想が、20世紀の急速な経済成長の時代を終え、コロナショックを経て、いままさに地をゆく感じになったのではないか。

どのような郊外がTown-Countryとして理想なのか、ポテンシャルがある郊外がどのようにリノベーションされていくのか、ソーシャルディスタンスを保った社会機能を建築やオープンスペース、オンライン空間がどう分担していくのか、そもそも健康で幸福な都市とはなにか?など、コロナ以降のランドスケープが考えるべき課題は多い。それらもこの連載のテーマとして取り込み、関心がある方と共に考えていきたい。
 

参考文献
*1 Myndi G. Holbrokk, et al., “Aerosol and Surface Stability of SARS-CoV-2 as Compared with SARS-CoV-1.” The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE, DOI: 10.1056/NEJMc2004973, April, 8, 2020
*2 船橋真俊, 表土とウイルス, 2020.03.28.
*3 エドワード・ホール,『かくれた次元』,1966, みすず書房,1970.
*4 ランドルフ・T・ヘスター,『エコロジカル・デモクラシー』,2006, 鹿島出版会, 2018.
*5 エベネザー・ハワード『明日の田園都市』,1902, 鹿島出版会, 2016.

PROFILE

滝澤恭平

滝澤恭平

ランドスケープ・プランナー/編集者 ハビタ代表、株式会社水辺総研取締役、「ミズベリング・プロジェクト」ディレクター、『ハビタ・ランドスケープ』著者。1975年生まれ。大阪大学人間科学部卒業、角川書店に編集者として勤務。2007年工学院大学建築学科卒業、ランドスケープ設計事務所・愛植物設計事務所にランドスケープデザイナーとして勤務後独立。2014年東京工業大学大学院社会理工学研究科修士課程修了。以降、九州大学大学院工学府都市環境システム専攻博士課程にて都市河川再生とグリーンインフラの研究を行う。2015年水辺総研を共同設立、全国の水辺のまちづくりや河川再生を精力的にサポート。2019年、日本各地の風土の履歴を綴った著書『ハビタ・ランドスケープ』刊行。地元の水辺として、東京杉並区の善福寺川を市民力で里川にカエル「善福蛙」で活動を行っている。