公共R不動産研究所
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公共空間を耕す人々 vol.2 /不完全だからおもしろい「歩行者用道路」

歩行者天国をはじめ、市井の人びとの公共空間の使いこなしをリサーチしてきた内海研究員。今回は、道路が広場のようになる歩行者天国と、その根拠となっている制度について紹介します。

道路は広場ではない

道路におけるルールは、主に「道路法」(1952年公布・施行)と「道路交通法」(1960年公布・施行)の2つの法律に定められている。このうち、道路を使う人や車のルールについて書かれているのは後者の「道路交通法」だ。第1条にはこう書いてある。

道路交通法はその名の通り「交通」を何よりも重視した法律である。

この法律は、道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図り、及び道路の交通に起因する障害の防止に資することを目的とする。

道路交通法 第一章 総則 第一条

前回の記事で「道路はコモンズである」と書き、あたかも広場のように使われることを理想のように述べたが、少なくともここ数十年から現代に至る日本において、「道路は広場ではない」というところから始めなければならない。

そうなってしまったのも無理はない。

道路交通法が施行された1960年前後、高度経済成長期の日本では、自動車が急速に普及し始めた。信号や横断歩道すら十分に普及していない、子どもが増えても公園整備が追いつかない時代である。1970年にはなんと年間1.6万人を超える交通事故死者が出て、「交通戦争」という言葉も生まれるほどであった。また排気ガス等による公害も深刻化した。急激なモータリゼーション、ひいては人間性を置き去りにする近代化に対して、反感が強まっていく。

日本の交通事故死死者数と自動車保有台数の推移(※1)

応急措置としての「歩行者天国」

人口が増え、車も増え、でもインフラ整備は追いつかない、そんな状況の中で応急的にルールを変えてみる、という措置が取られた。その中のひとつが「交通規制」である。

車に脅かされずに空気のきれいな道を歩きたい。子どもたちに安心して遊べる場所を作ってあげたい。そんな思いから、一時的に車を通行止めにして歩行者専用とする取り組みが始まる。

最初は非常に小さなものだった。私が調べた限り、最初の事例は1958年に始まった「児童遊戯道路」。東京都台東区の100m余りの道路で、警察と町内会が協力し、日曜、祝日限定で通行止めの時間帯を設けた。新聞を読むと「車の通行制限は、いろいろ面倒な法律にひっかかるのだが、遊び場を奪われて、危い遊びに走る子供たちのことを考えると……」などと書かれていて、実験的な特例措置だったことが伺える。

朝日新聞 1958年8月4日 朝刊

その後、類似の小規模な事例は散見されるが、ひとつの大きな転機になったのは、1969年8月に旭川で実施された「国道封鎖」。駅前の目抜き通りが12日間通行止めとなった。類を見ない大規模な事件が成功を納め、3年後の1972年には恒久的な歩行者専用化が実現している。

朝日新聞 1969年8月22日 東京夕刊

1970年には、東京の4地区(銀座、新宿、池袋、浅草)で、毎週末の大規模な交通規制が始まる。これが日本で初めて「歩行者天国」という名前が当てられた事例のようである。

これらの成功を受け、「遊戯道路」「買物道路」「子ども天国」「お祭り天国」など、様々な歩行者天国が各地に広がったようだ。

朝日新聞 1972年7月21日 朝刊

「歩行者用道路」の成立

歩行者のための交通規制「歩行者用道路」が道路交通法に登場するのは翌1971年のことである。

「歩行者用道路」は都道府県公安委員会(交通管理者、すなわち警察)による交通規制の一種で、もともと車両通行を前提とした道路に対して、しばしば時間帯や対象を限定して原則車両を通行止めとするものである。

すでに廃止された交通規制のことを把握することは困難であるが、現在も実施されている規制から傾向を読み取ることはできる。2019年時点で東京23区には約5500件の歩行者用道路があった。

筆者集計の東京都区部の歩行者用道路の分布
(警視庁交通規制データによる。地図はGoogleマップ上にプロット)

これらの中には、銀座や新宿のような大通り・繁華街も含まれるが、実はほとんどが商店街や住宅街などの比較的小さな道である。設置理由を見ると、「通学・通園道路」「買物道路」「遊戯道路」「通勤道路」など、日常生活の延長にあるものであることがわかるだろう。

新設の時期を見ると、約9割が1970年代前半である。つまり、1970年の「歩行者天国」開始などの影響を受けてある種の「流行り」の中で設置され、その後約50年間経過しているものがほとんどということになる。

逆に、1980年代以降に新設されている常設の「歩行者用道路」はわずかで、交通安全対策としての交通規制の重点は、通行止めではなく面的な速度規制(ゾーン30など)にシフトしていく。

「歩行者用道路」で起こっていること

皆さんも日々目にしているであろうこの標識です

さて、「歩行者用道路」は常設の交通規制なので、「歩行者専用」の標識が立っている。規制がかかっている間は、車両の通行が原則禁止されるとともに、普通の道路では禁止されている歩行者の行動(例えば道の真ん中を歩いたり、遊んだりすること)が一部認められるようになる。さらに、交通規制の目的にあった簡易な仮設物(可動のベンチや遊具など)であれば置いてもいいと解釈される。

一般的に、道路を他の用途に使うには、交通管理者による「道路使用許可」と道路管理者による「道路占用許可」が必要であるが、「歩行者用道路」では簡易な行為に限ってそれらの手続きが不要であるという点で、ある種規制が緩和されている状態と言うことができる。

看板が置かれた歩行者用道路

しかし、「歩行者用道路」のほとんどはなんの変哲もない道路なので、標識が立っているだけでは「歩行者天国」化しない。歩行者のための空間であることを、車両・歩行者の双方がわかりやすく認識して、安全に活用するには、規制時間に合わせて車止めの看板を置いたり、ベンチや遊具を設置したりする必要がある。私は「歩行者用道路」のうち約500箇所を尋ねたが、日常的に車止めの看板が出され、活用されていることが確認できた道路はわずかである。そのような意味では、「歩行者用道路」は、道路空間の活用の仕組みとしては不完全と言わざるをえない。

その中でもおもしろいのは、活用されている残りの1-2割である。話を聞いていると、それぞれの場所でローカルルールが生まれたり、創意工夫が凝らされている(時にこれは道路交通法と矛盾していたりもする)。町内会や商店会で組織的に管理しているところもあれば、特定の個人がずっと管理しているところもある。50年にわたって草の根の運営がされているわけである。

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これを時代遅れの不完全なルールと断じてしまうことは簡単である。しかし、手間がかかる場所だからこそ、常にその場所が何のためにあるのか疑い、運営方法を更新し、時には苦情なども受けながら、何とかやっているのである。これこそあらゆる人の利害が関わる「公共」の空間のあり方ではないか、と思ったりする。

研究員のアディショナルノート

矢ヶ部さん

この歩行者用道路の標識、言われてみればよく目にしているものだけど、どういうものなのか正直よく分かっていなかったな。

松田さん

私も歩行者天国というと、銀座のように、集客や観光を目的としたもののイメージでした。海外では近年子どもの遊び場としての道路見直されていますが日本には1970年代から、そんなポテンシャルを持った場所がたくさんあったんですね。そういえば、私の家の前の道にもこの標識があります。もしかして運用次第で歩行者天国ができる可能性があるのかも!?

岸田さん

この歩行者用道路って、車止めの看板が出ていなくても車で入っちゃいけないんですよね? 実は最近うっかり入りそうになったことがあって……(笑)

内海さん

そういうことになってます。でも現状はわかりづらいですよね。住んでいる人の車や荷下ろしの車がどうしても入りたい時は、警察の許可が必要ですが、そのあたりはグレーになっていることもあります。

矢ヶ部さん

交通規制がなされた状態に、さらに住民がひと手間かけると「歩行者天国」という空間が実現するという組み合わせが、とても面白い構図だよね。

岸田さん

行政の計画だと「活性化」「賑わい」を目指しますってよく言うけど、場所によって意義が違いますよね。すべての場所が賑わえばいいわけじゃない。活性化しなくても、賑わなくても、近くに住んでいる人が幸せに暮らせる住空間、そのための道路の使い方があればいいわけで。

内海さん

必ずしもたくさん人が来なくても、試しながらその場所に合った使い方を探っていく、ルールを作っていくこと自体に意義があると思っています。

松田さん

例えば、高齢者が多い地域では、おばあちゃんが老人ホームから帰ってくる時間帯は通行止めにする、とかも可能性があるわけですね。

岸田さん

狭い路地とか、へび玉道路(一部だけ膨らんだ道路)など、そもそも車が入りづらかったり、ユニークな道路もありますよね。そういう場所を住んでる人が読み解いて使っていく、というのは非常に面白いと思います。「もんじゃの社会史」の記事でも触れましたが、月島は橋ができて島と陸がつながったことで、道路のあり方が変わり、時間と共に露店商が入れ替わっていく、という変遷がありました。当時の交通は徒歩がメインで、道路をハックする人や店がまちの魅力や多様性につながっていたという面があります。今は車が優先になってしまっているけど、折り合いがつけば広場性が獲得できるのかもしれませんね。

松田さん

海外だと、通りに名前がついていて、地番も通りを基準に付けていたりするけど、日本はそうじゃないですよね。それはもともと徒歩前提にまちができたからかもしれないですね。これから車が減って、歩く人優先になっていったら、昔に戻っていくようなこともあるんでしょうか。

内海さん

道路の広さって基本的には交通量で決まりますよね。でも、これから車が減っていくとしたら、最大のキャパで作られた道路が余っていく可能性がある。そうなれば違う使い方がもっと現実的になってきます。交通規制というのはある意味ひとつの折り合いの付け方ですよね。

高松さん

それにしても、1958年の時点で、「車の通行制限は、いろいろ面倒な法律にひっかかるのだが……」という記事があるのが興味深いですね。2023年に入れ替えても同じ文脈が通じそう。実際どのように使いこなしがなされているのか、今から次回記事が楽しみです!

内海さん

歩行者用道路がどのように使われ、管理されているのか、具体的なことは次の記事で紹介したいと思います。お楽しみに!

※1 参考文献
警視庁交通事故統計(2018年10月)/警察白書(昭和48年〜平成元年)/交通安全白書(平成28年)/永礼正次「歩行者保護と交通規制」道路セミナー 80/11、1980

***

公共R不動産研究所、次回は、8月23日(水)更新!
矢ヶ部研究員によるコラム「『公共不動産データベース』担当の頭の中」#03 社会教育施設編 のアディショナルノートをお送りする予定です!

PROFILE

内海 皓平

1995東京都江戸川区生まれ/2018年東京大学工学部建築学科卒業/2020年東京大学工学系研究科建築学専攻 修士課程修了/2020〜2022年株式会社オープン・エー/2022年公共R不動産

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